曖昧トルマリン

graytourmaline

スイカとメロンのワインゼリー

「なんでは自分の誕生日の、しかもパーティの最中に簀巻きにされてるの?」
 外界の光を遮断していた屋内から相変わらずの快晴が広がる空の下に戻った直後、横から掛けられた声に反応して思うように回らない首を動かす。表情が見えないまま気分を害されたような雰囲気を醸し出すレギュラス・ブラックをひとまず無視してエイゼルの姿を捉えようとしていると白く短い杖が視界に入り軽く胸元を叩かれた。
 並の魔法使いでは太刀打ち出来ないメルヴィッドの魔法もエイゼルならば杖の一振りで容易く解除可能のようで、四肢の動きを封じていた透明な縄が弾け飛ぶ感覚と共に自由を取り戻す。しかし、お姫様抱っこを気に入ってしまっているブラック家の当主様は私を手放すつもりはないようで、上下に軽く揺すられ抱え直されてしまった。当然、今度はエイゼルの纏う雰囲気が険しくなる。
 仲裁するにしてもまずは両足を地面に付けてからだろうと重心を崩して猫のように腕から逃れ、さて第一声をどうしようかと思案する寸前、派手な音を立てて木製の玄関が開け放たれた。中から飛び出して来たのはブロンドの美しい女性、そういえば、彼女も少し前から家の中に入っていたのだった。
「ごめん急な用事で私もう帰らならきゃだけど、フラン私今から仕事が入ったから食事はまた今度ね!」
 前半を私に、後半を別の誰かに大声で伝えたジョイス・ロックハートは軽快と呼ぶには若干鬼気迫る様子で走り出し、上手に焼けたアップサイドダウンケーキを頬張っているグレムリンをラリアットの要領で確保すると、その勢いを殺さないまま姿くらましで夏の青空の向こうへ消えてしまう。
 行ってらっしゃいお気を付けて、と型通りの言葉を呟くように口にした後で、視線の先のマリウス・ブラックが豪快に笑いながらこちらに近付いてきた。その隣には今消えたばかりの彼女によく似た美しい女性が並んでおり、愛情深い笑顔を浮かべている。
 外見の特徴と愛称から推測すると、彼女は先程オペラが話題に上がった時に言及されたフランシス・ロックハートであろう。レギュラス・ブラックの指導役という事で修道女や家庭教師のような柔和さを欠いた女性か、逆に貴族然としたおっとりお淑やか系のご令嬢かと予想していたが彼女はそのどちらとも違っていた。
 吊るしではないスーツ姿にビジネス向けの化粧で整えられた外見は最前線で働くキャリアウーマンに他ならない。ただ根本は妹と同じなのか、手にはドーナツの箱がぶら下がっており姿勢は少々気が抜けていた。
「まったく、いつもながら懐中時計を持った白ウサギみたいな子だな。たった1人の家族なんだからハグくらいしてくれてもいいのに。5秒チャージするだけで残り半日が少しだけ幸せになれるから、まあ、私達の仕事は半日で済まない方が多いけど。やあ、あまり久し振りではないけれど元気だったかな若旦那様、初めましてミスター・とミスター・ニッシュ。大旦那様とミスター・ガードナーにもお目通り願いたいけどお二方はまだ中かな」
「よく喋る美人だろ。こいつ今日呼んだ連中の最後の1人な、フランシス・ロックハート。ジョイの姉でMI5のH支部局員だ」
 マリウス・ブラックの言葉で彼女が政府との調整役と知り僅かに表情を変えると話が早いと助かると言いたげにコーラルピンクに彩られた唇が弧を描く。おまけのように付いてきたウインクも様になっており、自分の魅力の引き出し方をよく知っていた。
 成程、親しみやすい雰囲気を作り出しているが計算された結果のものだ、まだ若いが彼女も立派な諜報員らしい。
 ピーター・ペティグリューを捕らえるとなると10年前のロンドン爆破事件まで言及しなければならなくなるので、ブラック家が今の内に彼女と顔合わせをさせようとするのも道理であろう。魔法界の常識で考えれば既にガス爆発で処理しているのだから訂正する必要などなく、私もその辺りは非常に面倒臭いと思っているのだが、不当な魔法界を嫌悪し立法に携わる将来を見据えたキャラクターを作り出しているが故にその怠慢は許されない。
 とはいえ、それは将来の話である。今すべき事は他にあった。
「初めまして、ミス・ロックハート。プレゼントありがとうございます」
「どういたしまして、バスソルトじゃない方は活躍しない事を願っているよ」
 お洒落な箱と共に包装されていたもう片方のプレゼント、見た目こそただのベースボールキャップだが後頭部に鉛が入っており、いざという時に武器となるサップ・キャップの存在を思い出して首を傾げるようにして笑う。
 彼女はロザリンド・バングズからAKS74Uをプレゼントされた事を知らないのだろう。
 非魔法界の保安局に在籍する職員に対してそのような情報を流す程ブラック家は間抜けではないし、それを開示するほど私の管理能力も老いてはいない。彼女は魔法界と非魔法界を繋ぐ窓口の1つだがオルフォード・クラックネルのように犯罪には手を染めていないのだ。
 もっとも、ブラック家が囲っているという事はその手の事実を知らないのではなく、気付いていない演技をしているだけだろうが。
 まあ、演技など誰でもしている事だ。私のような爺だって例外ではないのだから。
「そうだ、ドーナツ好き? ロンドンにある店舗だけど割引チケットを譲り受けてくれないかな、大ぶりでカロリー的に美味しいから皆にお勧めしてるんだ」
「味的には如何ですか」
「私が知る限り最高。おすすめは万人受けするバニラカスタードだけどチョコレートも捨てがたいし甘酸っぱいラズベリーが個人的には好みだから3個同時に食べると心に優しくて体重に厳しい、まだデザート沢山あるみたいだから帰ってからお兄さん達と食べてね」
「いただきます」
 カロリーを気にする年齢でもないので甘いフィリングが溢れんばかりに詰まったドーナツの箱と2回目以降の購入で使用可能なチケットを渡され子供の笑みを浮かべると、それで喜んでくれるんだとレギュラス・ブラックが残念そうな言葉を漏らす。隣のエイゼルが次は株主優待券でも渡したらと投げやりながらも心優しいアドバイスをしているのに、何故か彼の鼓膜と脳を通した結果、妙な結果が音となって出てきた。
「そうだね、廃止の目処がなくて優待制度が魅力的な株を幾つか買ってあげようかな。ついでに配当金も入るから」
「レジー、いりませんからね。優待発生株数って持ち株3桁からが普通ですからね」
 配当金がついでとか金銭に余裕のあるお貴族様の金銭感覚は理解し難いなあと腕を組みながら笑うフランシス・ロックハートと、その辺の感性がおかしいのは当主2人組だけで自分は違うと主張するマリウス・ブラックは無視して、ドーナツの割引チケットを握り締めながら湖水地方の人里離れた田舎に居住しているから優待券を使う機会は少ないと力説する。
 当然、私の雑な抗議など、ブラック家の当主様にとっては小動物か産まれたばかりの幼獣の鳴き声でしかない。
「使いたくなったらブラック家の本邸においで、ロンドンなら大抵対象の店舗があるだろうから。場所だけならダイアゴン横丁のメルヴィッドのお店でも条件は一緒だけど、でも、出来ればそのままうちに泊まって欲しいな」
「おっと、そういう話ならエディンバラでも大歓迎するぞ。大伯父さんの家の客間を好きなだけ使え。何なら優待券関係なく今度は冬に来いよ、クリスマス・マーケット案内してから美味い酒と生牡蠣をたらふく食わせてやるからな。海外のものに比べると小振りだが、あれは美味いんだ」
 優待券は要らないがマリウス・ブラックの最後の言葉に抗議出来ず堪えるような反応をしてしまうのは仕方がない。乳製品と引き換えに魚介の鮮度は全体的にあまり宜しくないこの国で間違いなく生が美味しいと断言出来る数少ない食材、それが旬の牡蠣なのだ。しかも舌が肥えているであろうマリウス・ブラックの紹介、絶対に美味しいに決まっている。
 全身が旬の生牡蠣を食べたいと主張してしまったのだろう。レギュラス・ブラックはそういう事なら映画や高級百貨店の優待券より食材だと対私にとっては正しい方向に舵を切り、声を立てて笑ったマリウス・ブラックは私の頭を両手で力強く撫でた。
「食欲旺盛、結構な事じゃねえか! 今日は方方に呼ばれて満足に食べてないだろ、挨拶はもう十分だから好きなだけ食えよ、まったく食べ盛りのワンコが!」
 肉も甘いもんも腹一杯食えと尚も私の頭を撫でながら笑っているマリウス・ブラックに笑みを溢していると、今になってようやくメルヴィッドとアークタルス・ブラックが家の中から姿を現した。
 ふと視線が合った灰色の瞳が親子程年齢の離れた従弟に嫉妬しているように思えたので口を開くが、言葉を放つ前に無機質な電子音がこの場にいる唯一の女性から無遠慮に鳴り響いた。姉妹だからってそこまで境遇が似なくてもと言ったのはレギュラス・ブラックで、陽光を受けて輝いていた金色の髪が微かに霞んで見える。
「国家公務員ってモンは心底愉快なお仕事だなあ!」
「仰る通りですともブラック大尉。大旦那様ご無沙汰しております、それに初めまして、ミスター・ガードナー。それでは皆様、申し訳ありませんが、本日はこれでお暇させていただきます」
「中の電話を使うといい。クリーチャーに現地まで送らせよう」
「お心遣い感謝致します」
 口数の多い女性からMI5の職員に表情を変えたフランシス・ロックハートはヒールでありながら芝生の上を颯爽と歩き、自動的に開いた玄関をくぐって家の中に消えていった。
 突然の呼び出しでも矜持を持ったまま顔を上げ、負の感情を欠片も見せない女性達に吐息を漏らすと皺だらけの固い手の平に両肩を力強く掴まれる。この時点でマリウス・ブラックが何を言いたいのかが分かった。
「見れば分かるが、フランも綺麗でいい女だからな?」
「私は別に性格に難がある方を特別好いている訳ではありませんよ」
「事実がそれを否定してんだよなあ」
 何度目かのやり取りに分かりやすく苦笑したのはメルヴィッドで、マリウス・ブラックの手で乱された髪を柔らかい手付きで直し、柔らかく頬を包まれるように撫でられてから両手に持っていたままだったドーナツの箱を受け取ってくれる。
「またいつか会えるといいね」
「はい、けれど国の為に大切なお仕事をなさっている方ですから。ゆっくりお話出来る日は気長に待ちます」
「そうだね、それがいい」
 それよりも何故出るのが遅れたのか、アークタルス・ブラックと何を話していたのかと尋ねようとしたところ、背後から無言呪文を放たれた気配がして慌てて盾の呪文で応戦する。
 アークタルス・ブラックの目もあるこのタイミングでこんな事をする魔法使いは1人しかいない。そして、その1人の魔法の威力に耐えられる程、私は強くないのだ。
「……何してるんだい、エイゼル」
「見て分からないかな。お姫様抱っこ」
 再び両手足の自由を奪われ簀巻き状態の私を抱き上げたのは魔法を放ったエイゼルで、嘲笑の色を宿した黒い瞳と明らかに苛立った赤い瞳が横抱きにされた私の胸上で見えない火花を散らす。
 ちなみに、灰色の瞳を持つ残りの人間達はそれぞれの感情を乗せながら事の成り行きを見守っていた。出来る事ならば見物などせず助けて欲しいが、もしも私が第三者の立場の場合は間違いなく見て見ぬふりをするので強い非難は避けよう。
「今の状態も、君が何故そうしたいのかも何となく分かるから説明はいらない。ただ、私の魔法を解いたのは君だよね。今まで自由にしていたを態々同じように縛り付ける理由が分からないな」
「縛った相手が君なのが気に入らないからに決まっているじゃないか」
「相変わらず私の事を嫌っているようだ」
「それは誤解だ。私は君をとても好いているよ、嫌がらせの相手としてね」
「……へえ」
 輝かんばかりの美しさを内包した笑みがエイゼルの面の皮に浮かび上がり、メルヴィッドの瞳の赤が濃くなる幻覚が見えた。
 エイゼルお前ほんと顔に見合わずヤベえ性格してんのな、という非常にストレートな感想を耳に入れながら、いがみ合うのは構わないが私を挟んでくれるなとも言えず、思わず天を仰いで雲一つない夏の青をサングラス越しに焼き付ける。
 いっそこのまま、何もかもを現実に置き去りにして、真昼の空気に晒されながら夢の世界へ旅立ってしまいたかった。