結び干瓢
"Alter ipse amicus."
91年7月1日 月曜日
屋敷に越して来て、半年程が過ぎた。
霧深い牧草地の中に佇む屋敷は、外観からは想像出来ないような慌ただしさを経て、ようやく、本来の静けさと穏やかさを取り戻したように思える。
元来、私の人生というものは、大なり小なり慌ただしさに満ちていた。なので、こうして凪のような時間をどのように過ごせばいいのかが、よく分からない。手持ち無沙汰になっている私を気遣ってくれたのだろう、アゼリアから友人を作ってみてはどうかと、この日記を渡された。巷で流行している日記を梟が運んで来たらしい。
危険な魔法も使われていないようなので、早速、付属の羽ペンを手に取ってみる。ボールペンのように勝手にインクが補充され、少しばかり驚いた。
91年7月2日 火曜日
川を模した庭の水場には小動物達がやって来る。近くには湖もあるのだが、果樹があり川底も浅い我が家の庭の方が過ごしやすいのだろう。
冬から春にかけて手入れしていた草木がやっと庭園らしく育ってきたが、未だ若く緑ばかりで色味が乏しいので、ハンギングバスケットを作る事にした。
青いカンパニュラと、白とピンクのインパチェンスを植えたところ、メリンダから色使いが大人しいのではないかと指摘され、アゼリアからはエディブルフラワーに挑戦して欲しいと要望を受ける。
後日、時間を取り、夏らしいバスケットを作る事にする。
91年7月3日 水曜日
本日から、毎週水曜日はベル師匠を屋敷にお招きして魔法薬学についての講義をして頂く運びとなった。頑固で偏屈な方であるが、職人気質で矜持高い事の裏返しであり、また、魔法薬学界の将来を心底案じている、大変真面目な方であった。
しかし、能力の全てを魔法薬学へ注いでしまっているのか、生活能力は芳しくないようである。空腹や栄養失調を薬で誤魔化しているようなので、お節介ではあるが、日持ちする物と共に、今日の夕餉に手を加えた物を持ち帰って頂いた。
師匠が帰られた後、皆で夜食をつまみながら映画鑑賞をする。
カルロス・ヴィリャリアス主演の魔人ドラキュラを鑑賞予定であったが、リトル・マーメイドに変更されたのは、夕餉がシーフード中心であったからかもしれない。
追記
筆を取っている途中、ベル師匠から手紙が届いた。
料理が口に合ったらしく絶賛された。大変喜ばしい。
91年7月4日 木曜日
アゼリアと共に、アースラの『哀れな人々』は陸上で再現可能かを検証した結果、可能だと結論に達する。吸盤の備わった8本の触手は非常に便利であるが、接触部が粘液で汚れ掃除の手間が増える事から、日常生活での使用はお蔵入りとなった。
副産物として幾つか呪文を開発したので、明日アゼリアが申請へ向かう。土産を買って来てくれると申し出たのでホームセンターで購入して欲しい物を伝えたが、そうではないと嘆かれた。
菓子を買って来てくれるらしい。
91年7月5日 金曜日
庭園で摘んだペンタスを蜂蜜のゼリーに散らす。
水中花の如き甘味を共に口にしたメリンダは中々に繊細な味だと評したが、アゼリアが土産として持って帰って来たファッジに全てを打ち砕かれた。
未だ舌上に甘味が残り、夕餉の鱸をガーリックソテーへ変更しようと考えたが、明日は都市部へ出掛けアーデリア様とリーガンとの3人で休暇を過ごす予定なので躊躇し、予定通り擦り下ろしたホースラディッシュを添えた焼き物とした。
尚、ファッジは歯が溶ける程甘かったが、美味であった。
いずれまた、買って来てくれるらしい。
91年7月6日 土曜日
この国に外出日和などない。天気は晴れと雨を交互に繰り返し常に優柔不断な顔を覗かせるか、陰鬱な曇り空である。年に一度くらいは、青空と汗ばむような日差しの下で、石鹸の香りのする衣類を干してみたいものである。
アーデリア様と共に出向いたロンドンも同様の天気であり、V&A美術館はステンドグラスよりもアイアンワークが似合う日和となった。リーガンは急な仕事で来られなかった。
昼食は館内のカフェでなく外のコーヒーショップで取った。取り澄ました様子もなく、最新のストウアウェイでスザンヌ・ヴェガを鑑賞するアーデリア様は、とても齢90を超える方には感じられなかった。アーデリア様には、いつまでもこうであって欲しいと願う。
91年7月7日 日曜日
本日も朝霧は深かった。
一昨日、アゼリアに頼み購入したハンギングバスケットと花の苗で新作を作る。赤と黄のナスタチウムは色鮮やかで庭園が幾分か力強くなったように思える、口にすると辛味と僅かな酸味があった。葉と共にサラダに良さそうである。
昼食の後、行き付けのアイスクリーム・パーラーへと出向き新作を注文する。レモンクランベリーチーズケーキ、キウイ・アンド・サイダーソルベ、トロピカルバニラカスタードの3種。残りのマシュマロミント、ライチソルベ、パイン・アンド・ココナッツミルクの3種は次の機会とする。
夜、薄霧の中で乞巧奠を行う。
願いが叶おうが叶うまいが、供物として捧げたメロンは明日のデザートとなるそうだ。
屋敷に越して来て、半年程が過ぎた。
霧深い牧草地の中に佇む屋敷は、外観からは想像出来ないような慌ただしさを経て、ようやく、本来の静けさと穏やかさを取り戻したように思える。
元来、私の人生というものは、大なり小なり慌ただしさに満ちていた。なので、こうして凪のような時間をどのように過ごせばいいのかが、よく分からない。手持ち無沙汰になっている私を気遣ってくれたのだろう、アゼリアから友人を作ってみてはどうかと、この日記を渡された。巷で流行している日記を梟が運んで来たらしい。
危険な魔法も使われていないようなので、早速、付属の羽ペンを手に取ってみる。ボールペンのように勝手にインクが補充され、少しばかり驚いた。
91年7月2日 火曜日
川を模した庭の水場には小動物達がやって来る。近くには湖もあるのだが、果樹があり川底も浅い我が家の庭の方が過ごしやすいのだろう。
冬から春にかけて手入れしていた草木がやっと庭園らしく育ってきたが、未だ若く緑ばかりで色味が乏しいので、ハンギングバスケットを作る事にした。
青いカンパニュラと、白とピンクのインパチェンスを植えたところ、メリンダから色使いが大人しいのではないかと指摘され、アゼリアからはエディブルフラワーに挑戦して欲しいと要望を受ける。
後日、時間を取り、夏らしいバスケットを作る事にする。
91年7月3日 水曜日
本日から、毎週水曜日はベル師匠を屋敷にお招きして魔法薬学についての講義をして頂く運びとなった。頑固で偏屈な方であるが、職人気質で矜持高い事の裏返しであり、また、魔法薬学界の将来を心底案じている、大変真面目な方であった。
しかし、能力の全てを魔法薬学へ注いでしまっているのか、生活能力は芳しくないようである。空腹や栄養失調を薬で誤魔化しているようなので、お節介ではあるが、日持ちする物と共に、今日の夕餉に手を加えた物を持ち帰って頂いた。
師匠が帰られた後、皆で夜食をつまみながら映画鑑賞をする。
カルロス・ヴィリャリアス主演の魔人ドラキュラを鑑賞予定であったが、リトル・マーメイドに変更されたのは、夕餉がシーフード中心であったからかもしれない。
追記
筆を取っている途中、ベル師匠から手紙が届いた。
料理が口に合ったらしく絶賛された。大変喜ばしい。
91年7月4日 木曜日
アゼリアと共に、アースラの『哀れな人々』は陸上で再現可能かを検証した結果、可能だと結論に達する。吸盤の備わった8本の触手は非常に便利であるが、接触部が粘液で汚れ掃除の手間が増える事から、日常生活での使用はお蔵入りとなった。
副産物として幾つか呪文を開発したので、明日アゼリアが申請へ向かう。土産を買って来てくれると申し出たのでホームセンターで購入して欲しい物を伝えたが、そうではないと嘆かれた。
菓子を買って来てくれるらしい。
91年7月5日 金曜日
庭園で摘んだペンタスを蜂蜜のゼリーに散らす。
水中花の如き甘味を共に口にしたメリンダは中々に繊細な味だと評したが、アゼリアが土産として持って帰って来たファッジに全てを打ち砕かれた。
未だ舌上に甘味が残り、夕餉の鱸をガーリックソテーへ変更しようと考えたが、明日は都市部へ出掛けアーデリア様とリーガンとの3人で休暇を過ごす予定なので躊躇し、予定通り擦り下ろしたホースラディッシュを添えた焼き物とした。
尚、ファッジは歯が溶ける程甘かったが、美味であった。
いずれまた、買って来てくれるらしい。
91年7月6日 土曜日
この国に外出日和などない。天気は晴れと雨を交互に繰り返し常に優柔不断な顔を覗かせるか、陰鬱な曇り空である。年に一度くらいは、青空と汗ばむような日差しの下で、石鹸の香りのする衣類を干してみたいものである。
アーデリア様と共に出向いたロンドンも同様の天気であり、V&A美術館はステンドグラスよりもアイアンワークが似合う日和となった。リーガンは急な仕事で来られなかった。
昼食は館内のカフェでなく外のコーヒーショップで取った。取り澄ました様子もなく、最新のストウアウェイでスザンヌ・ヴェガを鑑賞するアーデリア様は、とても齢90を超える方には感じられなかった。アーデリア様には、いつまでもこうであって欲しいと願う。
91年7月7日 日曜日
本日も朝霧は深かった。
一昨日、アゼリアに頼み購入したハンギングバスケットと花の苗で新作を作る。赤と黄のナスタチウムは色鮮やかで庭園が幾分か力強くなったように思える、口にすると辛味と僅かな酸味があった。葉と共にサラダに良さそうである。
昼食の後、行き付けのアイスクリーム・パーラーへと出向き新作を注文する。レモンクランベリーチーズケーキ、キウイ・アンド・サイダーソルベ、トロピカルバニラカスタードの3種。残りのマシュマロミント、ライチソルベ、パイン・アンド・ココナッツミルクの3種は次の機会とする。
夜、薄霧の中で乞巧奠を行う。
願いが叶おうが叶うまいが、供物として捧げたメロンは明日のデザートとなるそうだ。