曖昧トルマリン

graytourmaline

栗カボチャのチーズ焼き、醤油仕立て

 折角のハロウィンなのだから死霊同士で何かしないかと提案したのは母様だった。それはいいと同意して何故かホラーゲームを用意させたのはお祖母様である。
 プレイ人数が1人推奨の対戦も協力も出来ないこのゲームを推薦された理由は、だってハロウィンだもの、だった。お祖母様の言い分は偶によく判らない時がある。
 そして、居間に鎮座する60インチの馬鹿みたいに大きな画面の前で元人間だった物体を欠片の容赦も無く惨殺しているのが、普段から虫も殺さないような優しい笑みを浮かべているお祖父様だ。高速に、けれど精確にコントローラーのボタンを押している姿は、とても若くして肺病で亡くなった方には見えない。
 現在、そんな居間ではお祖母様と母様から黄色い声援が飛んでいる。時折だけれど、死ぬまで殺せ死んでも殺せ! とか、脳漿ブチまけて死ねやゴラァ! とか、そういった野太い声も窓ガラスを震わせている。このゲームは確か化物になった人間から逃げるゲームだと思っていたのだけれど、私の家族は死んだ後も血の気が多いらしい。
 あまりの流血惨事に運悪く遊びに来ている妖怪は部屋の片隅で身を寄せ合い、お祖母様と母様の男勝りな応援に震えている。
 そんな元気な死者の集いに私も参加したいが今回はあくまで幽霊同士の集いという名目なので、応援もせずに縁側でほうじ茶を戴いている。お茶請けはかりんとう饅頭だ。
 若いのに隠居爺のようだと言われるが、実際異常な若作りなだけで実年齢は棺桶から片足だけ出ている状態の爺なので気にしていない。
 因みに私以上に若作りで同じく生身の父は、ゲームに参加しようとして母様に追い出されてからずっと、自室に篭っていた。拗ねて泣いているのかもしれないが、慰めるのも面倒なので放置している。
、お前、これ止めろ』
 大きくて綺麗な画面が血やら臓物やらで真っ赤になる事にも慣れた頃、妖怪の中でも古参の方が私の袖を引いてそう告げてきた。心成しか、顔色が悪いような気がする。
 奥の方で固まって避難していた妖怪達も首を縦に振り、人間ってやっぱり怖いと震えていた。私としては死体の生首齧ったりしている彼等も充分アレな気がするのだが。
『いいか。よく見てみろ、今あの人間もどきを嬉々として殺しているのはお前の敬愛している祖父だ。それを応援しているのは祖母と実母なのだぞ』
 それでいいのか、と訊ねられたので、ちょっと考えてから私は返した。
「とても素敵な事だと思います」
 死んだ後も家族仲が良好なのはとても喜ばしい、程度のつもりで言ったのだけれど、どうにも伝わらなかったらしい。途端に顔を漂白した妖怪の背後で別の妖怪が駄目だ馬鹿息子呼んで来る! と叫びながら走り去った。ここで言う馬鹿息子とは父の事である。
 しかし、父を呼んでもこの状況が良くなるとは思えない。寧ろ悪化するだろう。
「日付が変わって、飽きるまで放っておいた方が楽なんですが」
はそうやって父さんの事も放置しておくつもりだったんだな!? 鬼籍の妻もたった一人の肉親の息子も相手にしてくれないなんて父さん悲しい!」
 ああ、面倒臭い男が来た。この人、銀杏中毒にでもなって酷い下痢に襲われて3日くらいトイレに篭った挙句紙が切れてウォシュレットが故障すればいいのに。
「ねえ、。父さんに関しての思ってる事だけが全部口に出てるからね? そろそろお互いにいい歳というか、外見以外は結構お爺さんなんだから残された肉親同士、父さんとも仲良くしようね?」
「申し訳ありません、父様。私は嘘が苦手なんです」
「でも本当の事を言わないのは得意だよね!? 何だっけほら、澱粉を糊化させてから乾燥させて作る、ゆべしとか包んでるフィルムみたいな食べる事ができる薄いあれ!」
「……オブラート?」
「それだ! お前にはそれが足りない!」
 もう少し曖昧な表現をしろという事らしい。
「包んだついでに埋めて墓石を建てた後に卒塔婆刺しますね」
「既に硬質オブラートも真っ青なほど綺麗に包めてないね! それって父さんとは会話すらしないって意思表示だよね!?」
 純正日本人のはずなのだが、海外生活が長い為なのか父は声もリアクションも大きい、故に非常に煩わしい。その煩わしさといったら普段温厚な母様が拳を握って、お義父様の邪魔しないでこの以下放送禁止用語と叫びながら拳で鎮める域に達している。
 それでも武術全般に長けている父が素人同然の母様の拳を浴びるのは、きっと愛なのだろう。私はそういった愛は遠慮願いたいが。
 ほどなくして一方的な殴り愛を終えた母様は初見のボス相手に少々苦戦しているお祖父様の応援に戻り、父は私の元へ這ってやって来てさめざめと泣く演技をした。誰も相手をしてくれないとか何か言っている気がするが無視をする。
「もういいよ……大発見があったのに誰も聞いてくれないし」
 無視し過ぎても後々面倒なので適当に一応、ふうん、とだけ返しておくと父の両手が私の肩を掴んで揺さぶった。もっと興味のある素振りを取って欲しかったらしいが、一言前にもういいのと告げたのだから放置くらいしてもいいのではと思う私は悪い子なのだろうか。
「お父さんはをそんな悪い子に育てた覚えはありません!」
 早速悪い子判定をされたが、私を育てたのは幽霊の肉親と妖怪達と今は亡きリドルであって貴方に育てられた覚えがありません。と正直に言ったらきっと落ち込むのだろう。
 喚く父を無視してお茶菓子を摘んでいると、横合いから小気味のいい渇いた音がした。視線を上げると、丸めた新聞紙を持った般若の顔が。
「お、お袋……」
『ちょっと来なさい馬鹿息子』
 騒いでいる内にお祖母様の逆鱗にも触れてしまったらしい父は、血の気の引いた顔で居間の中央、3人の死霊が屯している中に引き摺られていった。普通なら此処で呪われるパターンに入るのだけれど、身内なので心配は要らないだろう、多分。
 お茶が空になったので新しいものを淹れに立ち上がると、部屋の隅から圧力を伴いそうな熱視線が送られてきた。ホラーゲームの応援でトラウマを作りかけている精神的に弱い妖怪達が置いていかないでくれと縋っている。
 私はお茶を淹れた後戻って来るつもりなので、断ってもいいだろうか。
「よし、決定。覚悟は出来たか、!」
「出来ていませんよ、何のですか」
 妖怪達とアイコンタクトで話し合っている内に何かが決定されてしまったらしい。父の笑顔を見て感じたとてつもなく嫌な予感が気のせいであって欲しい。
「今からダンブルドアに嫌がらせしろ」
「前々から覚悟はしていましたが、遂に呆けが始まりましたか」
 義理の祖父であるアルバス・ダンブルドアは何十年も前に死んで、今はホグワーツの片隅で死体となって眠っている。そんな既に鬼籍の人である事が判りきっているダンブルドアに嫌がらせをしろと言う父について思うことなど一つに決まっていた。
 嘆かわしい事だが、あれ程優秀であった父がついに呆けてしまったらしい。同居し始めたときから前兆があったのでいつかこの日が来ると判っていたが、躁病気味の天真爛漫で騒々しい呆け老人の介護は大変そうだ。
「いや、そういうわざとらしい反応はいらないからな」
「では何ですか、過去の時間軸の並行世界でも見つけましたか」
「うん、俺が大発見した」
 随分軽く肯定された。冗談で言ったのに、正気なのだろうか。一応これで私よりも優秀な人で真面目な所もあるから、こんな昼間から酔っ払ってる訳はない事は確かだった。
「なんか歴史の細部がちょっとずつ違うんだけど、見つけたんだよ。あの伸びに伸びた髭は間違いなくうちの家族全員を苦しめた外道だ」
 相変わらず酷い言われようだが、否定しようがないので黙っておく。あの男、万人には賢人に見えるらしいのだけれど、私達家族にとっては鬼門中の鬼門だったので。
「それで見つけたはいいけど、嫌がらせしようにも俺達だと匙加減誤って精神崩壊させそうだろ? その点、なら手加減できる気がするんだ」
 匙加減間違うというより、意図的に間違えて大いに陰惨な復讐劇の幕を上げる気がする。家族全員笑顔は笑顔なのに、菩薩の生皮を剥いで被った悪鬼のそれというのは身内の私でも怖い。妖怪達がさっき以上に怯えているので勘弁してあげて欲しい所だ。
「お断りします、私だって本人前にしたら手加減出来る自信が持てません」
「大丈夫だって。の手加減出来ない=俺達の手加減だから!」
 それは笑顔で言う事ではない。
「兎に角これは家族内会議で決定したから。今すぐ行こうな、善は急げって言うだろう」
「急いては事を仕損じる、とも言いますが」
「それならそれで別にいいさ。残念だとは思うけど俺達が不利益を被る訳でもないし、気負い無く復讐して来い」
 穢れのない笑顔の演技で肩を叩かれた。
 既に本音がだだ漏れだ、矢張り目的は嫌がらせじゃなくて復讐じゃないか。オブラートは父にこそ必要な物質だという気がしてならない。
「じゃあ適当な時期見て迎えに行ってやるから、精々あっちの世界引っ掻き回して来い!」
 札を持った父の右手が私の頭を張り倒した瞬間、自分の意識が体から放り出され深い穴に落ちていくような感覚を味わった。
 その場に倒れる自分自身の体をぼんやりと捉えながら、私は最後に聞いた父の言葉に早くもこの状況を後悔する。
「よーしお前等、ホラーが駄目なら鬱ゲーにしようぜ!」
 私が居なくなった途端、非常に楽しげな声で妖怪達に告げる父を、誰か、頭蓋が陥没するまで殴って欲しい。帰って来たら屋敷の妖怪達がトラウマを抱えていたとか嫌だ。
 不出来ではあるがストッパー役であった私が居ないあの屋敷がこれからどんな風になるのか、想像するのが少しばかり恐ろしかった。