曖昧トルマリン

graytourmaline

祈りにも似た姿

「気付いたら、ベッドの上だった」
 が、まるでその体に流れる血を眺めるように、手の平見つめて呟いた。
 誰もがその姿を静かに眺め、やがて自嘲のような笑みを浮かべる姿見て視線を外す。
 その手で髪を撫でられながら、ハリーは首を傾げるようにして、おれたちの長い昔の話が終わったのかを訊ねる。
「そうだな。きっかけは、これで終わりだ」
 きっかけ、そうだ。結局これもきっかけに過ぎなかったんだなと、今更ながらに思った。
 この後も色々あった。どうしておれがに恋愛感情を持つようになったとかが筆頭だけど。まあ、あの時点で既に無自覚の予備軍だったのかもしれないからな……うん。
「正直おれも、何故ブラックの態度が変わったのかは知らない」
 そりゃそうだろうとは思うけれど、それでも微塵も、本当に毛の先程も判らないのは、きっとたる所以なんだろう。
 その証拠に、ハリーはなんとなく、おれの心境の変化を理解したみたいだった。何とも表現しがたい視線を向けられて思わず咳払いする。
 何故か、リーマスも一緒に。いや、判らなくもないけど。
「え、あ……うん。そっちはなんとなく、判るような気がするんだけど」
「そうか?」
 一人だけ判っていないを見て、リーマスが笑った。
「さて、シリウスがを好きになったきっかけは、またの機会に話すとして……紅茶が冷めてしまったね。ハリー、新しいのを淹れるから手伝ってくれないかい?」
「あ、うん!」
 完全に冷めてまずくなった紅茶を持って、何かあからさまにおれとを二人きりにしようとする親友の目論見に、ハリーも乗って、そして行ってしまおうとする。
「ルーピン、淹れなおすのなら中央の戸棚の奥にあるものを淹れて欲しい」
が銘柄を指定するなんて珍しいね」
 一人だけ、何も判っていない(のだと思われる)は、相当疲労した表情でソファに凭れ掛かっていた。もしかしたら頭を動かすのも億劫なのかもしれない。
 きっとおれも、似たり寄ったりの顔をしているんだろうけど。名付け親として息子に気を使われるというのは結構情けないな。駄目な後見人で済まない、ハリー。
 それにしても、リーマスはどうしておれたちを二人きりにしたんだろう。
 この沈黙が、実はとても、非常に痛んだけれど。少しばかり恨むぞ、親友。
「……」
「……」
 数秒間の沈黙に、おれはすぐに耐えれなくなって、思わず口から出た話題は、思い出話に思考まで退化したのか、最悪のものだった。
「記憶、全部取り戻したんだな……」
 内心、全力で自分の頭の悪さを毒づくおれに対して、どこまでも冷静に、そして疲れた声でが返す。
「ああ」
 それって、つい最近じゃないかと返そうと思って、今度は思い留まる。なんだか更に悪い方向へ話が転がって行きそうなので、頷くだけにして……おきたかった。
 なのに、おれの口は、更に言葉を続けている。
「……呪いって、そういう事だったんだな」
「ブラックは訊かなかっただろう」
 寂しそうな声だった。
 疲れているはずなのに、また無理矢理感情を殺して、おれを責める風に聞こえないように、気を使ったんだろう。
「だって、きっと訊いても答えなかっただろ……訊く気も、なかったけど」
 ああ、なんで緊張した空気が流れてるんだろう。
 ……考え無しに言いまくってるおれの所為か。
 そこから逃げるように、おれは少しだけ話題を元に戻そうとした。
「でも、おれも結局……お前の消された記憶に関して、何も言えずにいた」
 それは、懺悔だった。
 あれから何年か経って、卒業直前になっても、おれはまだこの記憶の事を告げられずにいた。卒業するまではダンブルドアの目が近くににあるし、騎士団に入団してしまったから、その事で、話すタイミングを掴めずにいた。
 それでも、卒業して、自由になったら、絶対に話すのだと決めていた。けれど、卒業と同時に……はおれたちの前から、姿を消した。
 ダンブルドアからは、身の安全は保証出来ると告げられるだけで、どこにいるとか、なにをしているとか、そんな事は全く知り得なかった。騎士団の事に追われるようになって……いつの間にか、そんな誓いも忘れてしまって、そして……忘れたまま、アズカバンを過ごしていた。
「……もしも。」
 項垂れるおれを見ずに、がソファに深く座ったまま重そうに口を開いた。
「もしも、ブラックが……あいつに消された記憶の事を話して、おれが過去を取り戻していたら」
 傷一つない、真っ白な右手で視界を塞いで、信じられない言葉を紡ぐ。
「きっとおれが、この手でハリーを殺していた」
 震えた唇が吐き出した台詞に、おれは何も言えずにいた。
 咽喉が乾いて、張り付いた舌が上手く回らない。何か言わなければ。
「あの陣営の中で……それこそ、何の疑いもなく」
……」
 やっとの事で、名前を言うことができた。
「悪い……なんか変な方向持って行っちまって」
「謝るな、持って行ったのはおれだ」
 そうだっただろうかと、数分前の記憶を遡る前に、身動き一つしないまま強引に話題を変えられる。
「おれの呪いはどうしようもない、大体、今更大した事ではないだろう」
 座っていたソファが音を立てて、おれが立ち上がったことをに知らせた。
 隣に座ったことを視覚以外で知らせると、ゆっくりとした仕草で腕を下ろし、目が開かれる。何も変わらない黒い瞳が、じっと遠く見つめていた。
「いや、今聞いても相当、重いと思うぞ」
 親族から愛されないなんて。
 ……本当は、そうじゃないのだけれど。
「気のせいだ」
「そうは思えないんだけど」
 意識しているのか、ただの本能なのか、そうやって軽く言い放ったに、思わず「結構無茶言うよな」と呆れた声で返してしまう。
 また、おれたちの間に沈黙が流れたけれど、先程よりは随分軽い気がする。
「本当に、今となっては、どうでもいいものなんだ」
 どこかを見ていた目がおれに移り、少しだけ、笑った気がした。
「今は、おれの周囲に誰かがいてくれる。それだけで、どうでもよくなるような呪いだ」
 滲み出ていた笑みは、幸せからだった。
 嘘ではない。本心から、は呪いなんて、どうでもいいと言っている。それが、おれたちが居るからと言われて、心が軽くなった。
「お前は今まで、絶対に呪いについては喋らなかったからな……」
「そう、だな。どうして……今更になって、どうしてこんな事を話すのかと、普通は思うよな」
 苦笑いしながら手の平を眺めて、おれが何かを言う前に続けられる。
「呪いに抗う能力のないおれには、どうしようも出来ない事だ。受け入れるしかないと悟ったし、流石にこの歳では反抗できる気力も体力もなくなっている」
 ……そんな事を言われたら、自業自得ではあるのだけれど、抵抗できずに始終殴られ蹴られ続けているおれやリーマスの立場はどうなるのだろう。そんな風に普通に思った。
 けれどは視線を思い切りそらして、その追求を避けようとする。おれは早々に諦めることにした。問い詰めても自爆するだけな気がしたので。
 そこまで考えて、やっと口を開いた。
「いいのか?本当に」
「構わない。別の道を見つけた」
 天井に向いていた視線が、おれを見る。
 どこまでも真っすぐと。そして、泣きそうな顔して幸せそうに笑う。
「言っただろう、お前たちが傍に居てくれる。それだけで、おれは今がとても幸せなんだ」
 また、耐えるのか。そう思って、の視界を手の平で覆った。
 いつだってそうだ、絶対、こいつは泣く事を一度堪えようとする。
 それでも駄目な時は、今は泣くけれど……こんな時まで、そんな感情まで耐えるなとか、幸せたと思って泣いてるなら構わず泣けとか、そんな事をありったけ伝えたかった。
「そんな小さい幸せ噛み締めやがって……おれも、お前も、どうしようもない」
 なのに、出てきたのはとても平凡な言葉だけで、気付けばおれも泣きそうな声をしていた。そんな所は、おれもお前も成長してない。
 手の平が、の涙で少しだけ濡れた。
「まったくだ」
 互いに震えていた声に、口許だけは綻ぶ。
「でも、幸せなんだよ。一緒に居る、こんな平凡な事が凄く幸せなんだ」
「ああ」
「本当に、どうしようもなく、幸せなんだ……」
「……ああ、まったくだ」
 鳳仙花と紅茶の香りがして、振り返ると、ハリーとリーマスがキッチンからこっちにやってくるところだった。ぬいぐるみを引きずったまま、まだ半分寝ぼけているジュニアも、二階から降りてくる。
 の視界を塞いでいた手の平を下ろして、父親が泣いている事にに気付いたのか、敏い子供が短い脚をせっせと動かして走ってきて、膝の上におさまろうとしていた。
 ハリーも、そんなおれたちの様子に違和感を感じて、ソファの後ろ側からに抱きつく。おれはそれを、何も言わずに静かに眺めていた。
 ふと、紅茶を用意し始めたリーマスと視線が合って、唇の動きだけで「酷い顔」とだけ告げられたけれど、そんな言葉は鼻で笑っておく。
 こんな幸せな感情で酷いと呼ばれる顔になるのなら、それでいいと思ったから。