左回りの銀時計
今考えてみると、全ての始まりはそれだったのかもしれない。
「ねえ、ジュニア。これ誰のなの?」
「開ける! ハリィ、開けるの!」
「うん、あのね。確かにこれには魔法がかかってジュニアには開けれないけど、他人の物を勝手に開けたらいけないんだよ? 悪い事なの、わかる?」
「ハリィ、開ける! ハリィ! ハリィ!」
ジュニアは鎖の鳴る懐中時計を持って小さな指で本体の裏側をしきりに指した。複雑な模様が刻み込まれたその中でその二文字を確認できたのはジュニアのおかげかもしれない。
「……?」
「ハリィ! ハリィ、パパッ!」
「ぼくとがどうしたの?」
「ハリィ、パパが居る! だから、開けるの!」
自分の言葉が上手く伝わらない事が焦れったいのか何度か地団太踏み、握り締めていた懐中時計をちゃんと見るように目の前に差し出す。そこに彫られた文字はJ.P。ハリーにも、たった一人だけその名前に心当たりがあった。
「まさか、これ、ぼくの父さんの?」
「パパ! ハリィ、パパッ! 時計、開ける!」
「で、でもジュニア、これはどこから? シリウスか、リーマスのじゃないの?」
そう言いながらも、開けるだけなら問題ないかと考えたハリーは杖を取り出して、しかしある事に気付き杖を下ろした。
思わず使いそうになってしまったけれど、今の時期、未成年の杖の使用は認められていない。それを思い出したのだ。
「ハリィ?」
「ジュニア、駄目なんだ。今のぼくは、魔法を使っちゃいけないんだよ」
「……まほうは、だめ?」
「うん、今のぼくが魔法を使うのはね、悪い事なの。だから、誰か別の人に頼んで開けてもらおうね?」
そう言うとジュニアはフルフルと首を横に振って頬を膨らませた。
「やっ! ハリィが開けるの!」
「だからね、ジュニア」
カツ、と音がしてハリーの杖先と時計が触れ合う。
「……え?」
軽い音がして、手の中で懐中時計の蓋が開いた。何も魔法は使っていない、ただ杖が触れただけなのに……。
驚いて時計を見るハリーにジュニアは満足そうに笑って部屋を駆けて出て行った。一体何を見せたかったのか、覗き込んでみるとその時計は普通の時計とは全く正反対に動いていて文字盤もどこかおかしい。
「なんだろう、内側に何か彫って」
指先がその文字を辿った途端、時計の逆回転する早さが急激に速くなり、それにつれて部屋の様子がひしゃけるように変化していった。
数ヶ月前、ハーマイオニーと共に使ったタイムターナーとフルーパウダーを掛け合わせたかのようだった。慌ただしく変化して足下もおぼつかない空間の中、どこか遠くから声が聞こえてくる。
何を言っているのかは、わからない。
「……っうわ!」
突然視界がひらけ、背中から床へ落ちた。重圧で背中が痛んだようだった。
目を開けてみると視界ははっきりしていて、しばらくしてから、自分が仰向けに倒れていると言う事がわかる。
「やったぜジェームズ! 成功だ!」
「やっぱりぼくたちの理論は間違ってなかったんだよ!」
「喜んでいるところ悪いけど、ぼくは無関係だからね」
「あ、あの、大丈夫かなこの子」
四種類の声が耳元でして、ハリーは痛む背中を擦りながら体を起き上がらせた。
「ジェ、ジェームズ! この子ジェームズそっくりだよ!?」
キンとした声が聴覚を刺激して、ついで驚きの声が次々に上がった。
一体何が起きているのかわからない上に、見覚えのあるこの場所は……
「な、なんでぼくがホグワーツにいるの!? まだ夏休みのはずなのに!」
「えーと、もしもし?」
「はい? って……!?」
ひらひらと目の前で手を振られて思わずそっちの方に振り向くと、自分とよく似た顔をした少年がにんまりと笑っている。
瞳の色が違って、額に傷はない。よくみると、眼鏡の形も少し違うように見えた。
「うわー、ホント。ワームテールの言う通りぼくそっくりだねえ」
「……」
人間は自分が許容できない事態に直面した時、現実逃避するかとにかく笑い出すかするらしい、とハリーは誰かから聞いた事があるような気がする。
いや、許容できない訳ではない。ハリーが今住んでいるのは魔法使いたちの世界だ、何が起こってもおかしくはない。
しかも自分はそれを知ってたった3年しか経っていない、こんな事だって起こり得たりしなくもない……現に1年ほど前、自分は日記の記憶に吸い込まれた訳だし。
「はじめまして」
「あ、ああ。はじめ、まして」
「ぼくはジェームズ・ポッター。でもってシリウス・ブラックにリーマス・J・ルーピンにピーター・ペティグリュー。覚えた? 問題ない? ここまでOK?」
「は、い」
そして、いま自分の目の前にいる人物は、ジェームズ・ポッターと名乗った少年は、間違いなく自分の父親。
まさかジュニアはこれを言いたくて? けれどジュニアは魔法に関しては全くの素人で、一体どういう事なのだろう。
「今、ぼくたちは違う時間の人間を呼び寄せる実験をしたんだ、そして多分成功した! 君のいた時代は西暦何年だい?」
「え。せ、1994年、です……」
ヒュゥ、と口笛が軽快に慣らされた。
「ぼくらの時代よりも20年以上も後だ! ってことは、君はぼくの息子かな!」
「え。ええっと」
イエスと答えるべきなのか、ハリーは戸惑っていると視界にふっと影が入る。
見上げたくない。何が、いや、誰がいるのか見上げたくない……その場にいた五人は錆びついた切れた自転車のハンドルのようにゆっくりと首の向きを変えて、そしてその人物を見つけた。
きっちりと結われた髪に、きゅっと縛られた唇。ハリーが知っている人物よりも随分若く見えたが、その眼鏡の奥に輝く瞳は間違いなくそれその人であった。
「うっわツイてない」
「まさかマクゴナガル先生に見つかるなんて」
「この間といい、今日といい」
「だから知らないよって言ったのに」
「言いたい事はそれだけですか? ミスター・ポッター、ミスター・ブラック、ミスター・ルーピン、ミスター・ペティグリュー!」
ビリビリと雷が落とされ、ハリーはどう反応していいのか当惑する。
まだ若いけれど、何時の時代もマクゴナガル先生はマクゴナガル先生なのだと、下らない事を痛感したような気がした。
四人に囲まれていたハリーと、マクゴナガル先生の視線がバッチリあってしまったのは、それから5秒後の事だった。
彼女の視線は、一度ジェームズに向き、ハリーを見比べ……そして、
「四人とも! 処罰は後日言い渡します!」
恐るべき力で腕を掴まれそのまま引きずられ、窓の外の秋の気配漂うホグワーツを眺めながらハリーは叫びたかった。
「これからぼく、どうなっちゃうんだよ!?」
お年頃な少年ハリー・ポッター。ジュニアこと・・ジュニアが少々恨めしい今日この頃、彼のご機嫌はあまり麗しくないようだった。