曖昧トルマリン

graytourmaline

怪しい隣人〈Ⅰ〉

 この年の夏にウォーターフロント周辺で複数の事件を発生させ、数多の騒動を好き放題に巻き起こした5人組の犯罪者達がいた。本拠地及び本籍地は日本国東京都中野区であり、当人達は特に逃げも隠れる気もないので公的書類の山脈を発生させる規模の騒動に目を瞑ればごく普通の住民票に記載されているレベルの一般人である。
 彼等の居住区の近所には哲学堂という公園があり、これを造ったのは安政生まれの仏教哲学者にして妖怪博士、私立大学創立者に教育者、政治評論団体の創設者、ボードゲーム考案者という肩書きが渋滞している人物だった。江馬務や柳田國男の登場以前に巷に蔓延る数多の迷信を打破するために妖怪の研究と分類を行ったらしいが、結果として妖怪を増やしたのではという疑念が拭えない辺り、学問とは非常に奥が深い。
 公園から新青梅街道を挟んだ北側にはその哲学者の墓所やレトロなドーム型の災害用給水槽が聳えている。給水槽の名称は野方配水塔で近代上水道の父と呼ばれた工学博士が設計したと言われてきていたが、その博士の没年から計算するとどうやらそうでもないらしいという説が近年浮上していた。兎も角、携わった人物が誰であろうとも建築物そのものの構造は変わらないので、5人の犯罪者達は夜になるとこのコンクリート製の外壁をクライミングしてバルコニーに侵入し、一通り景色を楽しんでからおもむろに帰るという微笑ましい悪戯を何度も行っている。
 そんな、ちょっと知的で、ちょっと不穏で、しかし基本的には平和な住宅地の一角に、竜堂家はあった。庭が広く家も屋敷と呼んでも差し支えない程度には大きいので、昨今の住宅事情に照らすともはや軽いファンタジーである。
 そしてその竜堂家に、トラブルの詰め合わせセットの5人姉弟が居住していた。
 長姉のと長兄の始は双子で23歳。姉は現在一家の大黒柱として家計を支え、兄は自由業というやや風通しの良い肩書きを名乗っている。次兄の続は19歳の大学生で人文学部に所属。三弟の終は15歳の高校生。そして末弟の余は13歳の中学生。5人はいずれも見目麗しく、男兄弟に限定すれば名前と順番は清々しいまでに分かりやすく整っているが、性格の方に関しては残念ながらあまり整っていない。
 そんな5人の視線が注がれている竜堂家の居間のテレビには8月5日と表示されており、全国区のニュース番組枠で首都圏のニュースを報じている。テレビ画面の中に映った東京湾の湾岸では深紅の竜と漆黒の竜が大暴れし、ニュース番組の制作陣にとっては一生分の視聴率ボーナスを連日のように叩き出している。
 竜堂家の面々は居間のソファで寛ぎ、朝食と昼食の間に挟まれる軽食という名のスナック菓子を咀嚼しながら歴史的映像を見ていた。長姉と次兄が主演を務めた、超ド級の迷惑スペクタクル映画である。なお、入場料は東京湾一帯の被害額で支払われている。
 テレビの中では自身が微塵の被害に遭っていない故にエンターテイメント全振りの、テンションの高いナレーションが炸裂していた。
『皆さん、竜は実在したのです。空想上の怪物と思われていた竜は実在しました。ああ、驚くべきこの事実! それにしてもこの兇暴さ、破壊欲の権化とも言うべきこの姿! 正に人類の敵と申せましょう』
 ナレーションの断言に対し、三男坊の終は残り少なくなったコンソメ味のポテトチップスを摘んだまま、しみじみと呟いた。
「そうか、おれ達って人類の敵だったんだ」
「意外な事実だね」
「今までのおれ達は、間違った生き方をしていた。これから悔い改めて、ちゃんと人類の敵らしく振る舞わなきゃな」
 終の発言は前向きだったが方向性は一般人にとって絶望的に間違っており迷惑極まりない結論に達している。しかし、それを止めるような良識ある姉弟はこの場にいない。
「具体的には?」
 止めるどころか詳細を聞き出そうとする余が声を掛けると、終は指を折りながら真剣に計画を立て始めた。
「まず東京タワーと国会議事堂をぶっ壊す。ついでに首相官邸も踏み潰すだろ。あと、東京だけ壊してちゃ不公平だから、大阪と名古屋にもサービスしなきゃ……」
「でも、それだと、一昨日までやってた事と、ほとんど変わらないよ」
「うーん、そうか。やっぱり宿命ってやつだな」
 次なる破壊について前向きに検討しつつ、終はソファの上で胡座をかく。
「おれ達って無意識の内に人類の敵としての義務を果たしてたんだ。悲劇的な血の為せる業だなあ」
「何が悲劇だ、黙って聞いておけば」
 始が終の頭を容赦なく小突き、テレビの音声に乾いた音が重なった。
 叱られた終はというと暴力反対と小声で抗議するも誰からも同意の声は挙がらない。は双子の弟と同意見らしく腕を組んだまま、むしろもう一発入れておくべきかと物騒な追い打ちを検討している気配すらあった。余はいつも通り、すべてを受け入れている仙人のような緩やかな笑みを浮かべている。東京湾の湾岸が燃えようが兄が叩かれようが、彼の口角はいつだって微笑みを浮かべている、ある意味で最も恐ろしい。
 そして姉弟達のやりとりを観察していた続は、どこか他人事めいた笑みを浮かべて黙っていた。なお、東京湾岸で派手に暴れ回った深紅の竜の正体は彼である。本人は沈黙しているがテレビの中では現在進行形で火を吹いており、行動の乖離がここまで芸術的に成立している例も珍しい。
 テレビの中では黒い竜が赤い竜を海中へ沈め、赤い竜は黒い竜に灼熱のダメージを与えている。風と熱に煽られた定点カメラの映像は激しく揺れ、ナレーションはさらに熱量を増していた。
『見てくださいこの破壊力! 信じられますか皆さん! まるで神話の再現です! いえ、もはや神話を超えています!』
 その神話を超えた存在は、今この瞬間、ソファに腰掛けてテレビを見ながら真夏の塩分と水分補給と称して市販のポテトチップスを賞味しながら麦茶を飲んでいる。事実というものは全国の視聴者にとってあまりにも残念で不親切であり、情報開示のバランスという概念がどこかで迷子になっていた。
「なんかさ、映像だとめちゃくちゃ強そうだな、現実は生活感強いのに」
「そりゃあね。事実、こうして生活してるから」
 身も蓋もない返しでが終の言葉を切り捨てる。
 一方で、続は静かにグラスを傾けながらテレビの中の自分を眺めていた。彼自身の紅竜の時の記憶はないのでほぼ他人事なのだが、炎を吐き、黒竜を薙ぎ倒し、黒い海面の上を飛び回る圧倒的存在は確かに、画面の中では怪物であった。
 しかし、彼の目に興奮の色はなく視線も冷静である。まるで昨日の夕飯を振り返るような温度で東京湾岸を焼いた自分の映像を眺めており、人生観の根底が揺らぐとか、倫理観が反省会を始めるとか、その種の会議は開催予定すらないようだった。
 画面の中では紅い炎が海面に巨大な蒸気の柱を立ち上らせている。ナレーションはもはや半ば詩人の域に達し、怒りの具現、災厄の象徴といった人生で1度口に出す機会が訪れるかどうかという単語を惜しみなく投入していた。数日前の速報に対応した深夜のニュース番組のキャスターとは異なり語彙が燃えている。
 ただ、いい加減鬱陶しくなってきたのか、続はリモコンを手に取りチャンネルを変える。しかしどの番組も同じような特番ばかりを組んでいて、専門家の意見だ政府の対策会議だと突如現れた神話生物についての処遇を巡って好き勝手述べていた。
 チャンネル1。白衣の研究者が黒板の前で生態系への影響を語っている。黒板には難しそうな数式が並んでいるが、よく見ると途中に炎の色と温度についてが書かれており急に小学生の自由研究みたいな気配が混ざって来る。
 チャンネル2。スーツ姿のコメンテーターが仰々しく腕を組み、これは明らかに国家安全保障の問題ですと重々しく語っていた。その横で別のコメンテーターが観光資源として活用出来るのではと笑顔で言い出し、議論が活性化している。
 チャンネル3。デフォルメされたドラゴンが無駄に愛らしい目をして鳴いている。誰に向けた優しさなのか分からず、方向性が迷子だった。
「温度差が凄いわね、国家の危機かと思えば、次の瞬間にはマスコット化」
「需要と供給ってやつだね」
 姉の言葉を受けて、余が纏める。
 続は更にチャンネルを変えた。今度は討論番組らしく、テーブルを挟んで複数の専門家が座り、司会者が真剣な顔で問いかけている。
『では、この未知の存在に対し、我々人類はどう向き合うべきでしょうか』
『まずは傷付けないよう麻酔等を使って捕獲し、対話の可能性を探るべきです』
 人の手の入った社会の中で安全と快適が保証された生活を送りながら自然との共生を掲げるナチュラリストが真剣な表情で口を開き、スタジオと居間に妙な静寂が流れた。
「対話だってさ。まず自己紹介からだな。どうも、いつもお世話になっております、人類の敵です、って」
「出来の悪い漫才じゃないんだから」
 姉弟の応酬など影響を受けないテレビの中では議論がヒートアップしていた。武力による排除、共存の可能性、未知の知性体としての権利、そもそも会話が可能なのかなど、壮大なテーマが縦横無尽に飛び交っている。言葉だけがどんどん立派になって行くが、当然、当事者達が不在なので結論など出るはずもない。
 日本の未来を左右するかもしれない重大なテーマと、次に開けるスナック菓子をどれにしようか相談する姉弟たちの温度差は、もはや計測不能の領域に達していた。しかし、日本の危機とポテトチップスのストック、竜堂家において優先順位が高いのはどちらかは言うまでもない。
 居間のローテーブルには既に数袋の菓子が鎮座していた。うす塩、コンソメ、のり塩、そしてなぜか場違いな高級感を漂わせるトリュフ風味。価格帯の違いが、まるで身分制度のように袋の表面に刻まれている。
「うす塩は帰る場所だから、最後に取っときたいな。色々な種類を食べ比べて、結局ここに戻って来る。その安心感を得たい」
「じゃあ、またコンソメにする?」
「いや、コンソメは帰るための道しるべだ。トリュフは特別な日用、消去法でここはのり塩にしよう」
 その間にも、テレビでは緊急会見のテロップが流れ、スーツ姿の政治家が額に汗を浮かべながら何かを読み上げている。声は緊張で震えていたが竜堂家の5人は誰も内容を聞いておらず、政治家の読み上げる文章より年少組の微笑ましい会話の方が姉兄にとって価値が高い事が見て取れた。
 年少組による崇高な議論の結果、決議は下される。
 のり塩の袋が開けられる音が居間に軽快に響いた。テレビの中では依然として未曾有の危機が語られているがその音は遠い国の出来事のようにしか聞こえず、完全な当事者達が危機感を抱くにはもう少し強大さが必要であった。
 そんな中で、何かを思い付いたように、終は開けたばかりのポテトチップスを摘みながら口を開く。
「もしさ、宇宙からもっとでかい竜が来たらどうする?」
「いきなりスケールを3段くらい飛ばすな」
 始が即座に制止をかけるが、三男坊の与太話は止まらない。
「いやでもさ、地球の竜なんて宇宙規模で見ればローカルじゃん。宇宙竜とか来たら、これ本物だってなるかもしれないだろ」
「宇宙竜って、キングギドラとか?」
 映画の中にのみ存在する3本首で金色のドラゴンの名前を挙げた余に、終は真面目くさった顔でキングギドラは怪獣であって竜ではないからカウントしないと返す。
「いいか、余。竜と怪獣は全然違う、そこは絶対に間違えちゃいけない分類だ」
「確かにそうかも。フェアリーモスラなんかも怪獣だものね」
「あら、例えに使う選択肢が可愛いわね」
「姉貴はデストロイアとかの方が好きそうだもんなあ」
「デストロイアは自衛隊に撃ち落とされたじゃない。わたしはビオランテ派よ、あのスーツを動かすのに20人くらいの人手が必要だった事も含めて」
「初めて聞きましたよ、そんな理由で派閥を作る人」
 の判断基準を聞いた続は呆れ顔で短く意見を述べた。しかし、余は姉の意見に感銘を受けたらしく成程と頷いており、終は始に向き直る。
「なあ始兄貴、姉貴と続兄貴がじゃれ合った所為で機動隊の遊撃車やら自衛隊の戦車なんかが彷徨いてるからちょっとばかし警戒してたけどさ、ビデオ借りに行くくらいなら外に出てもいいよな?」
「そうだな、それくらいなら家から出てもいい」
「よっしゃ。じゃ行こうか、余」
「うん、でも、茉理ちゃんが昼食を持って来たらちゃんとぼく達の分、残しててね」
 家長の許可が下りた事で、何を借りようかと楽しげに相談しながら年少組は玄関へと走り出て行った。古い家の床板は一切抗議の声を上げず生活感の象徴のような足音は皆無で、代わりに風だけが通り抜ける。
 人が走ったと表現するより、やる気のある気配だけが移動した印象を残す故に、竜堂家の家屋は近所の子供達から幽霊屋敷呼ばわりされる事もあった。しかし、その幽霊感もすぐに打ち砕かれる。
「ちょっと、アンタ達ちゃんと鍵と財布は持った!? 人類の敵でも戸締まりと支払いはするんだからね!」
 居間から長姉の声が飛んだ。内容は家庭的だが、先程までポテトチップスの供給問題やら宇宙竜やらを議論していた連中である事を思うと妙な味わいがある。
「はーい!」
「多分持った!」
「多分はダメよ、確認してから行きなさい! 特に財布!」
 軽やかに飛び出したはずの影が同じく軽やかに引き返して来て、その辺に放置されていた三男の財布を掴んで再度飛び出して行った。音はどこまでも静かだが見た目だけ騒がしく、中身は若干忍者寄りである。
 今度こそ外へ飛び出していく年少組を見送りながら、始は3人を代表して肩を竦めた。
「やれやれ、あいつ等と来たら、竜形にならなくとも、東京中を焦土にしてしまいかねんな。子供の皮を被った水爆だぜ、まったく」
「皮どころか、あれはもう半分以上中身が透けてるわね。危険物取扱注意って額に貼っておきたいくらいよ」
「それ、姉さんが言いますか?」
「アンタは特別に背中に縫い付けといてあげるわ、感謝なさい」
 続とは互いに笑い合いながら、言葉に針を含ませて投げ付け合う。しかしその笑顔があまりに整い過ぎていて、もしもこの喧嘩が街中で発動されたら通行人の3割は立ち止まり、2割は進行方向を見失い、1割は人生を見つめ直す事になりそうな光景でもあった。
 その6割に含まれない長兄はひっそりと溜息を吐く。ほんの数日前に続は致死量の筋弛緩剤を盛られ、は弟の危機に駆け付け満身創痍になりながら彼を救ったのだが、少し元気になればこの有様だった。生命の危機程度ではこの姉弟の溝は埋まらないらしい。
「それにしても、テレビや新聞を見てると、生きた水爆を追放する運動が急速に盛り上がりそうな気配ですね。どう対処します」
「考えるまでもないね」
 溜息ついでにあっさりと長兄は言ってのけた。
「日本が滅びるか、おれ達が滅びるか、そんな状況になれば、おれ達は日本を滅ぼしたって生き残るさ。だが、まあ、先走る事もない。なるべく正体が知られないようにしたいし、知られても共存する方法だってあるかもしれん」
「その共存の中に、近所付き合いとかゴミ出しルールも含まれるなら歓迎するわ」
 がさらりと付け足すも、なんとなく理由を察した始と続は苦笑する。
 最近になって隣家に戻って来た花井宗彦氏の妻の事を言っているのだ。数年前、何故か自慢気にアメリカの息子の所へ行くと近隣に触れ回っていた花井氏の妻は、いつの間にか日本に帰って来ていた。そこまではいいが、何故か彼女はあからさまに竜堂家を敵視しており、同じく一人暮らしから出戻ったはそんな隣人を小蝿のように鬱陶しく思っているのだ。敵意を抱く程ではないが、単純に邪魔。そのような手合である。
 とはいえ、世帯主である花井氏と竜堂家の仲は可もなく不可もなく、偶然会ったら挨拶をして一言二言世間話をするような間柄だ。花井氏は妻が竜堂家に対して悪感情を抱いている事には気付いており、何度も諌めているようなのだが彼女は聞く耳を持つ様子はなかった。むしろ夫の注意は逆効果で、彼女はますます敵意を募らせているらしい。
 花井氏のような人間と、彼の妻のような人間。どちらが日本の大多数を占めるか、それによって竜堂家は対応を変える。それは姉弟の中で一致していた。
「日本人の方が共存を望むのなら、だがな」
 家長として始が今後の方針を口に出し、はふっと息を吐いて台所へと向かう。
「どうせあの子達、また何かやらかすんでしょうしね。だったらせめて、帰って来た時にお腹が空いてないように用意しとくわ。茉理の持って来るサンドイッチだけで満腹になれるような子じゃないもの」
 彼女の発想は食欲旺盛な男子中高生を持つ保護者と何も変わらず、どこまでも日常的だった。外の世界がどう騒ごうと、この家ではお腹が空いたら何を食べるか、という問題の方が重要らしい。
 そしてその基準で動き、食事の用意を出来る長姉と従姉妹こそが、この竜堂家における本当の意味での最強だった。