曖昧トルマリン

graytourmaline

オールスター登場?

 容赦なく照り付ける太陽が玄関の土間に熱気を流し込み、奥へと進もうとする風に押され廊下にまで広がっていた。打ち水をしてもすぐに乾いてしまうほどの暑さに冷房を入れてしまおうと考えるは、丁度視線の先にいた続の、夏の色に焼ける様子のない手に握られた紙切れの大きさと印刷の色合いを見て予定していた仮眠を先送りする。
 余との会話中に来客があった事には気付いていたが、年長組のどちらかが応対している様子だったので放置していた呑気な自分自身を恨んだ。
 可愛い末弟の精神を安定させる方に重きを置いた事について後悔はしていない。しかし、続の手の中の紙に記された場所が何処であれ、それが何らかのチケットである事は明白である以上は鉢合わせないようその後の行動は変えられたはずだったのだ。
「続兄さん、誰だったの?」
「新聞屋でしたよ。購読のサービスで丁度良いものを頂きましたから、今夜終君と一緒に行ってらっしゃい」
 元気を取り戻した弟の姿に半分安堵しながら差し出されたチケットを軽く覗き込むと、今日の夜から水道橋のドームで行われるプロ野球オールスターゲーム第3試合と読み取れた。同時に、年相応の少年の顔で喜びを表現する余の手が届く前に彼女の指先が譲渡されるはずだった権利と共に奪い取る。
「姉さん、野球が嫌いだからといって弟の娯楽を奪う行為は感心しませんね」
「その新聞屋、知った顔だった?」
 非難しようとする弟の声を遮り研がれたばかりの刃物よりも鋭利な声で質問を投げたの表情は緊張を帯びており、一言で姉の真意を読み取った続は一旦口を閉じて記憶を探る為に視線を逸らした。残された余も姉兄の様子が訝しい事態の前兆であると理解して結論が出るまで口を閉ざす。
 今回のオールスターゲームは第1試合にセ・リーグが、第2試合ではパ・リーグがそれぞれ勝ち星をあげており、勝敗が決着する第3試合のチケットの人気がファンの間で高騰している事はニュースでスポーツ情報を流し見ている程度の人間ですら予想は出来た。席の詳細を見ると三塁側内野席の前列というS席の倍の金額以上を出さなければ手に入れられない場所で、パ・リーグファンとしてはまず最高と呼ぶに値する席であり、を含まない竜堂家は漏れなくそちらの応援側に属している。
 たかが新規購読を理由に寄越すには、些か過ぎた代物であった。
 これは釣り針の仕込まれた餌だと瞬時に判断を下したは己の勘が間違いではないと確信している。特に外部からの誘導もなく続が企画したフェアリーランドでのトラブルも思い出と呼べるほど古くないのだ、先方から舞い込んだ今回の娯楽に彼女の本能が否定的なのは寧ろ当然だった。
「……いえ、初めての顔でした」
 敵の姑息さと長女の疑念に続も賛同の意を示し、表情こそ聞き分けよく諦めているが姉兄から見れば明らかに肩を落としている末弟を前に申し訳なさそうに口を噤んだ。
 対応したのがであれば単なる幸運か罠であるかを見極め、前者であると断言出来ないのであれば騙された顔をして販売員を家に招き入れてから誰の手先か徹底的に追及しつつ、チケットそのものは秘密裏に処分出来ただろう。その辺りも含め反省している続を見たは、実害が出なかったのだからそれで良しとでも言うように軽く手を叩き2人の弟の視線を自身へと向けた。
「でも、年寄りの考え過ぎって線も捨て切れないわね。オールスターは中継で我慢して貰うとして、別日のチケット代なら出せるわ。終が帰って来たら日程を相談して決めなさいな」
「そういう事なら僕が半額持ちますよ」
「別にいいわよ、このくらい。ま、どうしてもって言うのなら2人分の遊興費を上乗せすれば、より充実した夏休みを提供出来るんじゃなくて?」
「そうしましょうか」
 常日頃から険悪な仲ではあるが、姉と弟として接する日がない訳でもない2人を見上げた末弟はの気遣いと続の厚意を見て笑顔を浮かべ礼を言う。
「でも、ぼく達だけいいの?」
「続は何時でも行く事が出来るからいいのよ、モラトリアム満喫中の大学生には暇が売る程あるでしょう」
「ええ、お陰様で。それよりも余君、姉さんは野球嫌いですから誘うだけ無駄ですよ」
「言っておくけど野球は好きでも嫌いでもないわ、サッカーもラグビーもね。ただ、スポーツ中継が放映される度に選手に対する上品な美声と試合に関する教養豊かな御指摘を寝室にまで届けてくれるような心優しい配慮をしてくれるでしょう。お陰様で我が家の居間が衆議院議場に見紛う錯覚に遣る瀬無さを持て余しているだけよ」
 ピッチャー返しを素手で掴み躊躇なくバッターの頭部へデッドボールを食らわせたに廊下は一瞬の内に静まり、外で鳴く蝉の声だけが辺りに広がる。
 幼少期から現在に至るまで竜堂家でスポーツ観戦が行われる度に顔を歪めて場を離れ、試合の最高潮になると文句を言いに来ていたから放たれた告白に続と余は視線を合わせ、一方は反省したように俯き、他方は不機嫌そうに押し黙った。
 テレビの前でスポーツ観戦する兄弟、特にこの場にいない三男坊が相手チームに対して叩き潰せと拳を上げ、ミスをした贔屓の選手に下手くそと罵声を浴びせる姿や、一指導者ぶった無責任な指摘を共に楽しんでいたのだ。思い返してみるとが文句を言いに来るのは常に罵倒や熱の入り過ぎた解説の最中であり、選手に対する声援や激励の場合は余程の声量でない限り姿を現さなかった事を思い出す。
 考えてみれば彼女は所有する資格上、形だけだとしても活法の武道を修めてた身なのだから試合相手へ敬意を持ち立ち振る舞う教育も一通り受けており、敵にこそ情け容赦無用の標榜を掲げていても、それ以外の中立より味方側には辛辣止まりで感情を飾ることなく口に乗せるような罵声を浴びせる事は案外少ない。普段の言動を顧みると他者への敬意と礼儀の有無について気にするような素振りなど見せていないように思えたが、家長である始とは別方向の保護者としての常識を持ち合わせているの価値観と態度は間違いなく長子のそれであった。
 ついでに、言い争いの絶えない続との関係も、当人達はこれでコミュニケーションの一環だと思っているのだ。他の兄弟、特に運悪く巻き込まれがちな終には迷惑極まりない交流方法ではあるが。
「ま、終には何度も注意しているし、応援と恫喝の区別が付いているアンタ達に言うべき話じゃないわね」
 常人が相手ならばごく真っ当な感覚で接するが少し反省したように肩を竦め、そろそろ水遊びから帰宅するであろう当事者を思い浮かべてから隣に佇む余の髪を撫でた。
「でも余は選手に口汚い野次なんて飛ばしちゃ駄目よ、どうしても我慢出来ない時は続を参考になさい、こいつの慇懃無礼さは家族一だから」
「それはどうも。ただ無礼なだけの姉さんより遥かにマシだと評価していただけた事に驚きを隠せませんね」
「丁度良い例示がされたわね。これが無作法だけど粗野ではない言動の限界よ」
「うーん、今のぼくには姉さんや続兄さんを真似するのはちょっと難しいから、もっと沢山本を読んで語彙を増やしてから考えてみる」
 姉兄に気を遣ってなのか本心なのかは兎も角、悪態と縁が薄く気の優しい余が出した結論にと続は短く視線を交わし、お互いが相手にもこれくらいの可愛げがあればと無言の圧を飛ばす。しかし叶わぬ願いに思いを馳せる程ロマンチストでも暇でもないはそれそれとして、と姉の表情に改め忠告をした。
「罠だった場合は今夜襲撃される可能性が高いから誰の差し金か尋問して。お礼参りもするつもりなら深夜に縺れ込むかもしれないから、早い時間の内に夕飯は済ませておきなさい」
「まるで自分は関係ないとでもいうような口振りですね、ぼくらにだけ働かせて姉さんはどうするつもりですか」
「仕事よ」
 短く言い切ったは面白くなさそうな顔をする続を他所に、今度こそ仮眠を取るべく寝室として使っている客間へ向かう。鳥の雛よろしく付いてこようとした余はというと塩素の匂いを纏い区営プールから帰宅した終と鉢合ったが為に居間へ連れ去られ、テーブルの上に広げたデリバリーの広告の前で胃袋を満たす相談を始めたようだった。
 フェアリーランドで暗躍していた小物達が忠告を聞き入れていなかった場合を想定しながら体を休めたは、起床後は若干の不調を引き摺りながらもいつも通りに出勤し夜の仕事に勤しんで金銭を稼ぐ。初めて来た客に本指名を受ける珍しいシチュエーションに沸き上がる嫌な予感を化粧と演技の下に隠し、しつこくアフターに誘う卓との攻防の末、どうにかその日の勤務を終えると、帰り際には既にそれが話の種になっており彼女とほぼ同時期に入ったキャストから良くないお客さんだったねと声を掛けられた。
「キャバクラ初めての人だったのかな」
「いや、ああいう誘い方する男多いよ」
「シャンパン入れるからアフター来てくれってしつこかった卓? ヘルプ入ったけど露骨にホテル目当ての客だよね、あれはないよ」
「しかも1人からじゃなくて全員、信じられる?」
「嘘でしょ。何考えてんの、気色悪」
「常識的に考えて個別の同伴からじゃん、いい年して相場も遊び方も分かってないのかよ」
「でもベルエポ数本入れて貰えたことない?」
「いいなあ。初回に本指でシャンパン、それなら太客に育てられるかも」
「あれは化けない。領収書切ってたから経費で飲んでるし、大手でもないナントカ歴史研究会とかいう団体だったから」
「うわ、それ無理。警察とか消防っぽい雰囲気だったけど名前からして金無さそうなオタク集団じゃん」
「全員童貞なんじゃない? 太客1人が嬢複数呼ぶのはよくあるけど、初見客複数で嬢1人アフター誘うとか普通しないよ」
「普通じゃないんでしょう、お疲れさまでした」
「お疲れさま。というか会社? 団体? の金で女の子と遊んで、アフター誘うとか図々しい通り越して神経腐ってる。こっちはテメー1人の所為でサビ残やってるってのに」
「荒れてるね」
「被りに伝票で負け越してるらしいよ」
「ああ噂の、ご愁傷さま」
「ホストじゃなくてダーツバーだかプールバーのバイトの子じゃなかった? 被るとかあるんだ」
「接客中でも札束ちらつかせるババア共に毎回取られるんだって」
「秘書室長夫人がなんだっての。旦那が稼いだ金で遊んでるくせに!」
「他の客にまで旦那の勤め先公言して煽ってるの? 絶対ヤバい客じゃん」
「バイトの子もさ、ドリンク入れてるのにフォローないなら切った方が良くない?」
 広くない更衣室で同僚達に紛れて会話をしていたは必要な訂正を行い話題が次へ移るといち早くその場から抜け出して、悪い意味で話題になっていた客達から受け取った名刺を眺める。氏名は違えど北アジア文化地理研究会という共通の名称が印字されており、彼女はマスコミや警察関係の知人達から得た情報によってその団体が公安のダミー組織である事を知っていた。
 昼の件もあり兄弟の分断工作を図ったのなら遅かれ早かれにまで手が伸びるのは当然予想出来ていた。問題はタイミングだけで、帰宅中に襲撃か、店長か黒服が買収されそれとなく売られるか、今から店内に雪崩込まれるか、と多少警戒していたの耳が騒動の音を拾い上げる。複数人の怒声がそれなりに防音が整っている店の中にまで響き、そのまま成長を続けながら徐々に悲鳴へと変化していっていた。
 着替えを終えてもお喋りを止めない平和の象徴たる同僚達の大半は気付いていないようだが、勘や耳の良い者がやがて扉越しの妙な空気を悟ったのか視線で仲間を探し始める。をはじめとした約半数が異変を感じ取り始めたタイミングで慌ただしく店の扉が開き、送迎を担当している運転手が身振り手振りで店長に外の状況を説明していた。
「送りの子もそうでない子も一旦待機して。店の前で暴れている人がいるみたいだから」
「げ、最悪」
「すぐ警察来るよ」
「料金ゴタ? アル中かヤク中?」
「どれでもいいけど暴れずに交番駆け込んでくれないかなあ、子供じゃないんだからさ」
 警察沙汰なら長丁場になると判断した人間は早々に煙草へ手を伸ばし、喫煙者でない者達も大半が座る中、は店長に断りを入れてから外の様子を確認する事にする。揉め事など日常茶飯事の土地で態々野次馬精神を発揮する者は稀で、の後ろに付いて来た好奇心旺盛な人物は年齢層の若い黒服が1人だけだった。
「何かあっても俺、守っちゃいますからね」
「どうもありがとう」
 外の様子よりもに興味がある様子の年若い黒服に型通りの返事を笑顔で対応し、次の煩わしい言葉が出る前に店の扉の隙間から外の様子を伺う。
 黒いスーツでガタイの良い男が競り前の大型魚よろしく路上に散乱している光景を見て情けない声を漏らしたのは背後の黒服で、はというと受け身を取り損ねてアスファルトの上を跳ねながらも店の前まで転がりながら距離を取り果敢に起き上がろうとする人相の悪い男の側頭部をヒールで蹴飛ばし、憮然とした様子で腕を組んだ。視線の先にいるのは今現在のとそう身長の変わらない彼女の双子の弟である。
「姉さん、無事だったみたいだな」
「姐さん?」
「お陰様で。警察沙汰になってるわよ」
「すまん。ここまで大事にするつもりはなかっんだが」
「家は無事なの?」
「襲撃されたが、まあ、土足で上がり込まれる程度で済んだよ」
「家を襲撃?」
 明らかに勘違いをしているであろう黒服は放置する事にしたは古書の匂いを纏った弟を睥睨し、次いで先程頭を蹴飛ばした男の上に腰から着地した悪人面を一瞬だけ見下ろす。鼻を潰され白目を剥くその男から視線を上げると豪快に蹴り飛ばしたはいいが若干目測を誤った終が駆け寄って来る姿が見え、更にその背後では続と余が男達の服を漁り身分確認を行っているようだった。
 日常では収まらない規模の乱闘騒ぎに興味を惹かれ出来上がった人集りを目に入れないようにして、そもそも何故こんな人目の多い場所で大立ち回りなど演じているのかと問い詰めたい気持ちも堪え、殺し損ねた溜め息だけを吐き出す。彼女の溜め息は届かなかったのか、あまり似合わないネオンの光を浴びた終がプールで遊んだ時よりも退屈そうな表情で状況報告と確認をした。
「始兄貴、粗方片付いたぜ。姉貴は仕事終わった?」
「雑談は後。お店に迷惑掛けたくないし、補導されたら面倒だから逃げるわよ」
「表通りに?」
「裏よ。終、発案アンタね? どうせ人目に晒せば手は出さないだろうなんて安直な算段で騒ぎ起こしたんでしょう」
「じゃあおれ続兄貴と余に伝えてくるから!」
「確かに説教よりも先に、この場から退散しないとな」
「言っとくけど了承したアンタの責任が一番重いからね、この愚弟」
 善良な人々から通報を受けた警察官が近付いてくる音を聞き分けた始は周囲に転がる50人程の男達の姿を見下ろしてから苦笑し、は呆れがちで投げ遣りな同意をしてから店の黒服を振り返った。
「それでは、わたしは帰りますので。お疲れさまでした」
「お、おつかれさま、でした」
 ヤクザやら抗争やら若頭やら愛人やらと分かりやすく呟いていた黒服は野生の熊と遭遇した人間のような態度でから数歩離れ、それでも定型の挨拶を返すと小動物のような素早さで踵を返し店の扉を閉めてしまった。
 明日から店で暴力団関係者と噂される未来が見えたものの弁解する時間はなく、全てを諦めたは人相は悪くないのだが20代前半の風格とは到底考えられない見た目から組の若頭に勘違いされている弟と肩を並べ一旦裏路地に入ってからすぐに上方向への逃走を図る。一足早く隣のビルの屋上に避難していた3人の弟が揃って手を振るので返答のついでに現場から離れた手近なホテルの屋上に集合するよう顎と態度で示した。
 数分にも満たない時間の後、野次馬の輪から離れ既にライトアップの消えた東京タワーを間近で見られる場所に集合した5人の姉弟は数時間前に起きた竜堂家の襲撃についてを長子へ報告する。
「姉さんの懸念が当たっていました。加瀬という男が現場の指揮を執っていたので尋問したら、オールスター戦の入場券も彼等の差し金と親切に教えてくださいましたよ」
 最初に切り出した続が紙片をに手渡し、黒い目がネオンの光源を頼りに綴られた氏名を確認した。加瀬が吐いた男は4名、小森春光、田母沢篤、中熊章一、蜂谷秋雄。どれも先日のホテルにはいなかった面子である。
 ただし、4人の中でが経歴を全く知らないのは蜂谷だけだった。小森は石油元売業者の会長で日本で最初にアラブ諸国とのルートを切り開き石油の直輸入に成功した傑物として有名な男であったし、夜の街では大層羽振りの良い女好きとしても知られている。田母沢は医学界や製薬業界に身を置いていれば何処かしらで目にする田母沢コンツェルンの支配者で、中熊も全日本労働者連盟の事務局長の肩書から労働者に対する大変有難い御言葉を方方で目にする機会があった。
 ひとまず4人の中で小森を選んだ兄弟達は自宅へのお礼参り兼警告を済ませたらしく、金庫の中身で屋内キャンプファイヤーしたとの報告については聞き流し、は何故小森なのかとだけ考えた。総合すると蜂谷は未知数、中熊は地位にしろ年齢にしろ他に比べ一段劣るので田母沢との2択にまでは絞れるが、鎌倉の御前と大層な呼び名を持っていた船津老人の肩書は一見すると権力と縁の無さそうな教育家や哲学者であった為に何か理由があるのか確認を取る。
「小森を選んだ理由は? いつもとは趣向を変えた映画でも観たのかしら」
「映画? あのスケベじいさん、とてもじゃないけど俳優には見えなかったぜ、イモリとコウモリが合体した怪人役とかなら分かるけど」
「伝記映画のモデルよ、でもその様子じゃ違うようね。五十音順で一番上に来たから?」
「それと住所が一番近かった」
「それでね、ビックボウルでぼく達を待ち伏せしていたらしいんだけどぼく達行かなかったでしょ、だから標的を姉さんに変更したって教えてくれたんだ」
「やり方は兎も角、助けてくれた事については感謝するわ。ありがとう」
 あの程度の人数ならば単独でも片手で捌けたとは言わず、若干の嫌味を交えつつも礼を述べながらは次の手を考える。
 姉弟の誰かを人質を誘き寄せる手は既に船津老人が失敗した策であるにも関わらず、同じ轍を踏むどころか質も量も落ちている状況は素直に喜べない。船津老人が君臨していた事で一応でも取れていた統制という名の枷がなくなり、跡目狙いの小物達が情報の収集や精査を放棄して群雄割拠している中で逐一反撃と忠告を行うのは甚だ面倒である、しかし、襲撃者に対する有効な手立ても思い付かず腹立たしげに両腕を組んで口を噤む。
 姉の不機嫌の理由を察した始は襲撃者が律儀に持参していた身分証明書をネオンに透かしながら、疎ましそうな表情で独り言に近い呟きを漏らした。
「不愉快な話だか、おれたちは権力亡者共のゲームの標的にされているのかもしれない」
「十中八九そうでしょうね。北アジア文化地理研究会って公安のダミーだから」
「つまり、ぼく達の身柄を巡って、権力亡者共が競争したり暗闘したりしているという事ですか。すると、今後はエスカレートする一方になるかもしれませんね」
「でも公安って所詮警察だろ? 自衛隊みたいに戦車で攻撃してこないなら返り討ちも朝飯前だって」
「そうだよ。5人揃っていれば何が来たって平気だよ」
 近い将来を懸念する年長組の会話を聞いた年少組から過激な励ましを受け、3人は互いに視線を交わしてから苦笑する。どれだけ頭を悩ませ警戒するにしても一般国民並の権利しか持たない一般的ではない人間に出来る事など高が知れており、結果として出たとこ勝負をするしかないのだ。
「ま、考え過ぎも良くないわね」
「日付も変わっているしな。今日のところは帰るか」
「この時間帯の六本木に終君と余君を長居させたくありませんしね」
 年長組が撤退との意見を一致させ地上へ降りるよう促すと末っ子は素直に従い、三男坊は帰りに飲食可能な店へ寄ってくれよと空きっ腹アピールをしながらそれに続く。は弟達の後ろ姿を見送り物憂げな表情で上空で輝く月に背を向けて、夏の風を浴びながら夜景の中へ紛れるように姿を消した。