曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 『嗚呼、我らが愛おしい子よ』の陰気なオマケ

■ 報われないダンテ中心

■ 死ネタ・夢オチ・平行世界

一壺天の残り香

 何のきっかけもなく、粘性の高い液体のように意識が戻る。
 ベッドに沈んだ記憶はないが、酒が抜けて来た頭を振り外を眺めると、窓の外の月の角度が未だ夜が長い事を告げていた。月と夜の手前に位置する窓ガラスに映った、少し覇気のない自分の姿にダンテは違和感を覚える。
 セイヨウネズとアルコールの匂いを漂わせる呼気を感じると急に喉の乾きを覚えて、水を飲もうと皺だらけのシーツの海から体を上げさせる。バージルかネロが連れて帰ってくれたのだろうか、あの親子にそんな優しさがあったとはと滲んだ考えに罅が入った。
 階下の事務所は何時も通り汚れていて、店名のネオンやジュークボックスが下品な色で存在を主張している。そう、何時も通りだ、なにもかもが。
 否、1つだけ違う。ダンテの指定席たるデスクに放置された一抱え程の壺、あれは悪魔が憑いていると依頼され一時的に置いた物で、依頼したのは、確か。
「ダンテ、起きたの?」
「トリッシュ……?」
「何よ、その幽霊にでも遭ったような顔は」
「いや、お前何時帰って来た」
「何時って、まだ酔っ払っているようね。最近はずっと事務所に居たじゃない、フォルトゥナの件も大分落ち着いて来たみたいだから、そろそろまた旅に出ようとは思ってたけど。そうそう、ネロの方の事務所は評判良いみたいよ、今度遊びに行ってみようかしら」
 ネロの事務所とは一体どういう事なのか、彼はダンテの事務所の従業員で、そこまで記憶を辿ろうとして、手が自然に口元を覆った。胃の中を全てひっくり返したくなる程の酷い吐き気に苛まれるが、頑丈な内臓は内容物の逆流を拒む。
「ねえ、ダンテ、本当に大丈夫?」
「ああ、どうも悪い酔い方をした。こいつの、壺憑き悪魔の悪足掻きにまんまと引っ掛かったらしいな。もう大丈夫だ」
「ならいいけど。その壺、折角依頼を成功させたんだから壊さないようにね。明日レディが取りに来るまでは」
「そうだったな」
 壺に憑いた悪魔祓いの仕事を持って来たのは、レディだった。
 ネロは、幼馴染で恋人のキリエと共に故郷のフォルトゥナに残り、デビルハンターとして仕事を始めている。
 バージルは、双子の兄は、気付けない内にこの手で殺した。若かりし日に、魔界に落ちる事を望む彼の手を掴み、引き上げる事も叶わなかった。
 という男は、確かに居た。事務所を下見した時に出会った、スラム街に不釣り合いな事を除くと、ごく普通の、お人好しそうな人間。彼がテメンニグルと共に出現した悪魔達の手で殺されたと知ったのは、街の復興が始まった後だった。
 記憶の中のそれよりも汚れたカウンターの上には、自分で用意した飲みかけのジンが放置されている。水のように揺らめいている癖に、意識の底にしっかりとこびり付いている色のどれとも違う、真っ赤なボトルが、1本だけ。
 僅かに残っていたそれをグラスに移さず飲み干す。この場に合わない華やかな香りの液体の手を借りて、夢も見ず泥のように眠ってしまいたかった。
 あれはダンテにとって、悪夢でしかない。
「少し夢見が悪かっただけだ、ほんの少しな」
 おやすみと呟き、再び自室に戻るダンテの背中を、トリッシュはただ黙って見送った。