チアーズ
膨大な量の紙媒体をベッドの上に広げながら、オリバーは腕を組み、猛獣の鼾のような音で唸っていた。
彼は、あと数日でホグワーツを卒業する。今年度は、いや、今年度も試合で色々な不幸が重なったが、遂に念願のクィディッチ優勝カップを手に入れる事が出来た。勝利の余韻は、まだあるにはある。けれども、それ以上に不安が2つ程あった。
その1つ目を、彼は口にする。
「良いキーパーがいない」
どういう訳か、グリフィンドールはクィディッチに熱心な生徒が多い割に、選手層が異常に薄い。ハリーが入学するまでは他寮に居るような腕前のシーカーが何処にも居らず、そして今回、オリバーが抜けてしまう穴埋めを出来る選手が居なくなってしまった。
理由は、理解している。グリフィンドールは育成下手だ。元々センスのある生徒を重用するのはどの寮でも一緒だが、この寮は才能のある選手にチームプレイを仕込む方向に傾き過ぎていて、やや難のある生徒や一長一短な生徒を積極的に練習に招き、試合に出して伸ばそうとはしなかった。
オリバーの前のキャプテンも、その前のキャプテンもそうだった。マクゴナガルも学生時代は優秀な選手だったと噂で知っているが、コーチや監督としての能力は無かったと今更ながらに思い知っていた。そして、彼自身も。
「今から育成して間に合うか……いや、間に合うはずがない。来年度卒業する選手はいないから、アンジェリーナには1年捨てて育てろと忠告するべきか、しかし俺はもう引退した身だし、口出しするというのも。だが、全ポジションが似たような状態だから」
卒業直前までクィディッチ馬鹿なオリバーに巻き込まれる事を恐れ、同室者達の大半は談話室や図書館に避難している。少しでも話かけようものなら、どうすればいいとしつこく意見を求められるからだった。お陰で彼は現在進行系で昼食の時間を逃している。
彼を黙らせる魔法の言葉は存在するが、気まずくなる話題でもある為、同級生想いの生徒達は口を噤みその場を去る選択をしていた。
その空気を、大半に含まれなかった1人の生徒が破る。
「ヘーイ、オリバー。飯食べた?」
「今年のチームは最高だった、最後まで出来る限りの物を残してやりたい」
「君はチーズもハムも平気だったよな。食いっぱぐれそうだったからパンに挟んで持って来てやったけど?」
「、俺はどうすればいいと思う」
「やりたいようにすればいいよ。君はいいキャプテンだっただろ、しかも才能に胡座をかかず誰よりも練習に励んだ努力家だ。残された連中はきちんと想いを汲み取るさ」
7年を共にした同級生であり友人でもあるは真面目な表情を繕いながら答え、手にしていた雑なサンドイッチを押し付けた。自分のベッドに腰掛けながら、空きっ腹を抱えているんじゃないかと心配した自分が馬鹿みたいだと口にすれば、実際馬鹿だろうとようやく脳内競技場から現実に帰って来たオリバーが辛辣なツッコミを入れる。
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」
「ローカン・ドイースの居るレコード会社と契約解除しただろ」
「卒業を機に別のプロダクションに移籍するんだ、当たり前だろ。大体、僕の音楽とあの会社の方針とは合わない。これ以上組んでもお互い不幸になるだけだ」
「でも行くのはアメリカなんだろ。イギリスの音楽だって何も負けてない、それにこっちはあのローカンだぞ、伝説の19週連続で」
「あーはいはい。僕の就職先より自分の心配しろよ」
パンとハムとチーズをいっぺんに頬張ろうとして固まったオリバーに対し、うんざりした様子では溜息を吐いて一通の手紙を差し出した。
「これ、君宛の手紙。パドルミア・ユナイテッドから」
後継者のキーパー、そして、プロチームの合否。オリバーが抱いていた不安の種が双方揃い踏み、部屋の空気が一気に重くなる。その空気を両肩に背負いつつ、は不安を感じさせないような口調で続けた。
「中身は見てない。牛乳臭いのは大目に見るか無視ね、届けてくれたフクロウとパーシーの所のフクロウ爺さんが正面衝突して1年生が食べてたシリアルの深皿にダイブしたんだ。関係者全員が哀れだったね」
寧ろ表面だけでも洗浄した自分を褒めて欲しいと言う言葉も、オリバーは無視した。折角作ったサンドイッチもたった2口で床に落ち、3秒ルールの適応外と呟いたは片付ける為に腰を挙げたが、部屋を出ると勘違いされたのだろう、此処に居てくれとオリバーから懇願された。
「僕が居ても居なくても結果は変わらないと思うけど」
「変わるかもしれないじゃないか!」
「なんでさっき、君に馬鹿呼ばわりされなきゃいけなかったんだろう」
僕が居る事で悪い方向に変わる可能性もあるね、と冗談を口にしようとしたは寸での所で思い留まり、初めて選手として試合に出る前の晩のオリバーを思い出し、変わらないなと吐露する。
「あの時も、見に来ないでくれじゃなくて、見に来てくれ、だったもんなあ」
オリバーは観客の視線やプレッシャーに強い、強いというよりも、緊張を受け入れてよりポジティブに捉えられる。声援を雑音ではなく、自分の力に変えられるタイプだ。
だから、まあ、結果も判ると、は肩の力を抜いてオリバーの表情を観察する。そこに表れたのは、予想通りの美しい感情だった。
「……受かった」
呆然とした表情からの歓喜、実際にそれを目の当たりにしたは眩しいものを見るように目を細め、白紙の五線紙とボールペンを手に取った。そのまま勢い余って抱き締められ、ベッドに押し倒されたのは予想外だったが、オリバーの事だから本当に勢いだけで他意はないだろうと音符の殴り書きを続ける。
「、合格した。来シーズンから2軍でプレー出来る!」
「そうか。ちょっと落ち着いてくれ」
筋肉の塊のような男の腕から脱出したは何処からともなくバタービールの瓶を2個出現させ、その片方をオリバーへ差し出した。
キスされるかと思ったとついでに軽口を叩けば、そこまではしないと苦笑いされる。
「難しいかもしれないけど、試合、見に来てくれるか」
「時間が取れれば。マグル界に戻るから全試合は不可能だけど、なんとか調整して」
「マグル!?」
「そう」
「一言も聞いてないぞ」
「言おうとしても皆アメリカって部分だけで騒ぎ始めたんだ。それに、世界が違っても聞いてくれる奴は聞く、イギリス魔法界で活動しても聞かない奴は聞かない」
「俺は絶対に聞く! の作る曲が好きなんだ、オフシーズンはライブにも出来るだけ行くし、レコードも買うからな!」
魔法界じゃないから媒体はレコードじゃなくてCDな、と返すべきなのだろうとは理解していたが、その訂正は後で十分だとは独り言ち、狭い口から冷気がゆらゆらと立ち上る瓶を軽く掲げた。
「僕も、オリバーのプレーが好きだ。空中を力強く翔ける君も、地上でクィディッチの事を考えている君も全部含めてね」
「いいや。俺の気持ちの方がずっと強い、なんて言ったってのデビュー曲から今迄発売された分は全部持ってるからな」
「何でそこで張り合うかな」
負けず嫌いを全面に出し、異論は決して認めないとでも言うような面持ちで同じようにバタービールの瓶を掲げたオリバーに対して、は潔く折れる。
その部分も含めて、彼はオリバー・ウッドという選手のファンだった。
「まあ、いいや。じゃあ、オリバーの今後の選手生活に」
「の今後の音楽活動に」
残り数日で別れる自分のベッドの上に、それぞれの将来を描いた紙を散乱させながら、2人は茶色い瓶を勢いよく打ち鳴らした。