冬初めの観楓
典型的な朝方体質であるの朝は早い。
以前、友人に己の趣味がパッチワークである事と起床時刻を告げたら、呆れた顔で年寄りかよと即座に返される程度には、早い。
「勉強するには丁度いいんだけどなあ」
これから眠るであろう誰かの飼い猫と擦れ違いながら息を吐くと白くなった。冷えた空気と共に階段を踏み締め、石壁に反響する音だけがの耳に届く全てだった。
だからこそ、いつもの時間に訪れる、無人の談話室は快適だ。
体の芯を凍えさせようとする冬の寒さは暖炉と杖一振りの合わせ技で解消出来て、部屋の空気は濁っておらず、静かで、広いテーブルも座り心地のよいソファも気兼ねなく独り占め出来る。
他の寮がどうなのかは知らないが、少なくともが所属するグリフィンドール寮の談話室は夜遅くまで煩い事が多い。繊細な感性を持っているとは言い難いだったが、会話は兎も角として、唱え損じた呪文や悪戯道具が飛び交う中で無理矢理勉強するくらいなら大部分が寝静まった早朝に勉強した方がいいのではないかと気付き、ホグワーツに入学してしばらくもしない内に、このような習慣となっていた。
「お、先客か?」
いつもは暗い談話室から暖炉の明かりが漏れている事に気付き足を止めるが、人の気配はしない。この6年間、一度たりともお目にかからなかったが、ハウスエルフが暖炉の始末を忘れたのだろうかと首を傾げつつ談話室へ踏み入れると、呪文の復習でよく使うソファの上に、何ともユニークな寝相を披露している男子生徒を発見する。
燃えるような赤毛に細い体、起きている時は神経質そうな表情をしているが、こうして見るとまだまだ子供っぽく愛嬌があるウィーズリー兄弟の三男こと、パーシー・ウィーズリーがそこには居た。彼に掛けられた分厚い茶色のブランケットは自前の物ではなく、夜遅くまで勉強に明け暮れた生徒に対するハウスエルフの親切心だろう。
家族と共に秋のコッツウォルズ地方へ遊びに行った際に見たジャパニーズ・メイプルに全体的なシルエットが似ていると、10年程前の記憶を掘り返しながら杖を振り、苦しそうにしている後輩のネクタイを緩めてボタンを1つ外してやる。同性とはいえど赤の他人なので、流石に着替えをさせるのは憚られた。
の記憶が正しければ、確か彼は今年から監督生になったはずだ。という事は、今は5年生。O.W.L.が学年末に待ち構えている年でもある。
勉強熱心で努力家とは結構な事だと、皮肉ではなく生真面目さに心から感心していると、ふと、彼の着ているローブが目に止まった。兄達からのお下がりであろうローブは所々がほつれている、特に袖と裾は以前修復した箇所が再度ほつれたように見える。修復呪文にだって、限界はあるのだ。
「今日くらい、サボってもいいか」
勉強時間を数時間失って困るような計画は立てていないと自身を軽く納得させたは、気持ちよさそうな顔で夢の世界に浸っているパーシーからローブを脱がせて立派な裁縫道具入れを出現させた。
案外役に立つ趣味だと自己肯定をしながら裾や袖を分解し、糸や当て布を見比べながら手と魔法を使い分けて擦り切れた穴を塞ぐ。1番座り心地のいいソファの隣の、クッションがやや柔らか過ぎるという理由でまあまあ座れると評しているソファに深く腰掛けながら暖炉の中で爆ぜる炎に時折視線を移していると、やがて東の空が白み始めた。
夜明け間近の空気と光を肌で感じながら修復を完成させたと同時に、隣の茶色の小山が呻きながら緩慢に動き始める。こちらもお目覚めらしい。
「ああ、遂にやってしまった……え?」
「おはようさん。ミスター・メイプル」
「お、おはようございます? え、そのローブは僕の? いや、ええと確か、7年生のミスター・?」
談話室で寝落ちしたという自身の状況を起き抜けの頭で理解したパーシーだったが、古ぼけたローブが他人の手の中にある現実が受け止め切れないと全身で語っていたので、説明をしようと背伸びをしながら告げた。
ついでにコーヒーの1杯でも飲もうかとも考えただったが、それはこの後でもいいだろうと思い直しパーシーの名を呼んで落ち着かせる。
「未来の魔法大臣様に名前を覚えて貰えているなんて光栄だ。まあ、で、状況説明だけど、俺は朝早くに談話室で勉強するタイプなんでね、おまけにパッチワークが趣味だから偶々目に入ったローブを直したくなった。こんな感じだ。お判り?」
「は、はい。多分」
「後は、そうだな、時間的に二度寝しない方がいいか。コーヒー淹れるけどパーシーもどうだ、インスタントだけどな。ミルクと砂糖はあるぞ」
「それじゃあ、両方」
「お、気が合うな」
分量通りの粉を分量通りのお湯で溶かし、甘くまろやかに仕上げた液体を手渡すと、ようやく赤毛に覆われた頭の中身もはっきりしたのか、ローブとコーヒーに対しての礼の言葉をはっきり告げられ、次いで謝罪が加わった。
「すみません、大事な勉強時間を」
「気にするなよ、俺がやりたかっただけだから。今年は趣味がほとんどお預けになるから、丁度いい口実になった」
「7年生でしたよね」
「そう、最終学年だ。パーシーは5年生だったよな」
「はい。O.W.L.は12科目を目指しています」
「噂通り優秀だな、全科目とは恐れ入る」
伊達や酔狂で将来は魔法大臣と豪語している訳ではないと知り、さてどうしたものかと寝室の方へ目を向ける。まだ、誰も談話室へ来る気配はない。
しかし、もうあと数分もすれば、この談話室も騒がしくなる。経験上それを知っていたは数年分の羊皮紙が内部に溜まっている薄い鞄を漁りながら、ほんの数年だが人生の先輩として、そう心の中で前置きしてから続けた。
「でもまあ、勉強以外の事だからってあんまり気を抜き過ぎるのは危ないな。他人はお前が思っている程、お前の事を気にしちゃいない、って類いの言葉があるけど。経験上、あれは大嘘だからな」
「そうなんですか?」
色んな奴が、お前の色んな面を常に見て覚えていると言いながら、目当ての物を探り当てて引き出す。
「些細な失態を見られてるから、地道な努力も、必ず誰かしらに見られてる。俺ならそう言うね。ミスは誰にも見られてないのに、良い行いだけは誰かが見てるなんてのは我儘で自己中な言い訳さ。という訳でだ、役に立つかどうか微妙だけど、これ貸してやるよ」
2年前のがO.W.L.対策用に纏めたファイルを押し付けるように手渡すと、それが何なのかすぐに勘付いたパーシーが頬を紅潮させ言葉もなく喜んだ。
予想以上の喜びように、彼の兄で主席で監督生だった長男、こちらも監督生だった次男辺りがもっといいテキストを残していると思ったと素直に言葉にすると、催促したらくれたけど、と口籠ってから黙ってしまう。
その沈黙の中の言葉を、は悟った。
「俺はパーシー・ウィーズリーを見ている、そして俺以外の誰かもな。励めよ、新監督生」
肩を叩き、飲み干された2つのカップを片付け立ち上がったは、そのまま談話室を後にして寮から出て行く。
寝ぼけ眼の肖像画を隔てた背後に朝の気配を感じながら窓の外を眺めると、校庭一面が霜に覆われ、雲の隙間から注がれる朝日を受けて光り輝いていた。
卒業したら、また秋のコッツウォルズへ紅色の樹を見に行こう。そんな予定を立てながら爪先で冷気を感じ取る。
ホグワーツには既に、冬が訪れていた。