さようなら異世界モルモット
最後に誰かと他愛のない会話をしたのは何ヶ月前だったかと頭の中で記憶を遡るが、今の職場である神秘部に就職してからは仕事一辺倒で、口に出した物は全てに於いて研究に関係する言葉ばかりだった。
昔は友人が……いや、そんなに居なかったか。しかし現在、俺の置かれている環境は人として大分まずいのではないかと考えたが、それも後回しにしよう。余所事を考えていた所為で折角の機会を棒に振る事になりかねない。
「今説明したように、是非、君の力を貸して欲しいのじゃ」
「幾ら貴方の頼みでも、無償って訳にはいきませんよ」
「寄付という形になってしまうが、魔法省には相応の謝礼を払おう」
「神秘部にある俺個人の研究室宛てにして下さい。面倒な事務処理請け負ってくれる子とかなら別にいいんですけど、関係ない野郎に中抜きされるとか普通に腹立つんで」
「では、受けてくれるかの。ドクター・」
「受けますよ。つか、受けるのは大前提で、詳細詰めるつもりだからホグワーツまで足運んだんですよ、俺」
ダンブルドアの命令だからと嫌々仕事を受けた部長からの頼みでやって来たんだ。やりたくありませんなんて返したら明日から俺の研究室がなくなる可能性だってある。部長の様子から考えるとファッジも噛んでるんじゃないかと思ってる、現役魔法大臣様に逆らう程、俺は勇者になれない。
で、そんなダンブルドアの話をかいつまむと、異世界からやって来たという日本人の女の子が英語を理解出来るようにしたいので、俺が開発中の言語変換魔法を教えて欲しい、との事だ。日本人ってのは兎も角、異世界とか虚言の極みだろとは思うが、まあ、関係ない事だからどうでもいいか。俺はそっちの専門じゃないし、そっち関係は別の奴が別の日に呼ばれて別の依頼を受けるだろう。
英語も碌に喋れないような10代の子供に何の価値があるのか見当も付けられないけど、ダンブルドアが後見人になると話していたから、それなりの利用価値はあるのだろう。って事はだ、余り無茶な魔法を提供するのはまずい。
「道具と薬、どっちにします?」
呪文で一気に脳味噌を弄って英語を話せるようにも出来るけど、日本語はカテゴリー5で自動変換は最高難易度の部類に属するからリスクが高い。せめてもう2カ国か3カ国、別言語を話せる脳の構造になっていたら話は変わるけど、日本人は大人になっても自国以外の言語を理解しない事で有名だから言っても仕方がないか。
「個人的にオススメは道具ですね、脳に馴染むまでちょっと時間が要りますけど、ピアスとかペンダントとかのアクセサリーにしちゃえば長時間付けてられるんで。薬だと効果はすぐに現れますけど、切れるのも早いんで半日に1度の服用が必要ですね、あと強い薬なんで長期間使うと体に耐性出来ちゃいます」
「ふむ、道具にするとして、どの位で馴染むのか判るかね」
「年齢が上がる程、必要な時間は増えますけど、10代前半の子供なら24時間付けっぱなしで3ヶ月から3ヶ月半って所です、ただ、あくまで動物実験からの経験則なので現状だと正確な時間は何とも言えません。あと、外したらリセットされる可能性もありますから、その辺も気を付けて下さい」
「薬との併用は可能かね」
「機能衝突起こして高確率で障害残りますよ」
俺もそれを考えて実験してみたけど、世の中そんなに甘くないね。脳味噌ぶっ壊れて涙や涎や鼻水をだらだら流しながら笑う肉塊になってもいいならどうぞと返したら嫌そうな顔をされた。そりゃそうだ。
「物は相談なんじゃが、ドクター・」
「なんですかね」
「今年の入学式までに、英語を話せるようにしたいのじゃよ」
「俺の頃と入学シーズンって変わりましたっけ」
「いや、9月1日のままじゃ」
「あと1ヶ月半って所ですね」
「出来ぬかのう」
出来ないならこの話はなしだ、となるだろうか。困るような、困らないような。いや、路頭に迷うレベルで困るな。
ダンブルドアなら諸外国に別のコネクションも持っていそうだから、異世界から来た少女は別に困らないと思うけど。でも外国の技術を借りるとなると魔法省が文句を付けそうだ、そして魔法省にお金を出して貰っている俺の大切な研究室が用済みだとして消される。それは宜しくない。唯でさえ魔法界は就職口が少ないってのに。魔法使いの再就職はそれはそれは厳しいんだ、常に就職氷河期とか本当に笑えない。下水道暮らしに戻るのは御免だ。
「何でそんな急いでるのか聞いても大丈夫ですか」
「今年度、ハリー・ポッターが入学するじゃろう。彼がホグワーツで過ごすには、彼女の知識と力が必要なんじゃ」
「成程、さっぱり判りませんね」
異世界から来た少女は何か重大な使命でも帯びているのだろうか。そんな本を昔読んだ気がするような、しないような。
「じゃあ、今年度は薬に頼って、試験が終了してから道具に移行しますか? 薬抜けるまでちょっと様子見しないといけませんけど、経過観察もしなきゃまずいんで、必要ならその間は俺が通訳しますから」
「いや、それも問題がある。彼女は見た目は10代じゃが、中身は20代じゃ。君の予測が正しければ、3ヶ月以上の時間を要する」
「……大人じゃないすか、努力して身に付けさせりゃいいんじゃないすか?」
成人済みなら2カ国語の修得位余裕だろ、ああ、日本人だったか畜生が。10代前半の少女だから甘く見てやったが成人を甘やかす義理は一切ない。
「ロリコン」
「ではありません。大人なら自立しろってだけです」
「身一つで言葉も判らぬ異世界に放り出されてもかのう」
「言葉も判らない、籍もない、頼る人間も居ないまま生きて来た連中なんて、イギリスには掃いて捨てるほど居ますよ。老若男女選り取り見取りでね、どんだけこの国が移民を受け入れてると思ってるんですか」
ダンブルドアの青い瞳に映った、褐色の肌をした男が皮肉げな笑みを浮かべている。なんだ、さっきまで気にしていたけど、俺の表情筋君はちゃんと生きていたようだ。
「ま、いいっすよ。依頼はちゃんと受けます、仕事もします。6週間とかからず一瞬で英語を修得出来る魔法はどうすかね。成功率も結構高いんで」
「それを最初に提示しなかった理由を聞きたいのう」
「脳味噌一気に弄るんすよ? 貴方なら成功すると思いますけど、元に戻ろうとする脳味噌を騙す為にその後も週一程度の定期メンテナンスが必須なんで。ちゃんと手入れしてあげないと数ヶ月で精神ぶっ壊れて使い物にならなくなります」
「そのメンテナンスは魔法をかけた者でなければ出来ない、という事はあるまい」
「鼻歌交じりに魔法省に入省出来る程度には魔法が扱えて、日本語と英語をネイティブ並みに理解出来る魔法使いなら誰でも。俺が知る限り条件満たせる魔法使いは3人っす、貴方と俺と、あと国際魔法協力部のクラウチ部長かな」
話者が多くて難易度も低いカテゴリー1のスペイン語やカテゴリー2のフランス語だったら話は違ってくるけど、覚えて何の役に立つんだというレベルの日本語を流暢に話せる魔法使いは片手に収まる程に少ない。更に読み書きも必須だからメンテナンスを出来る人間の数は激減する。俺も漢字に複数の読み方があると知った時は悪夢に魘されたし、当て字には消滅して欲しかったし、主語を省略する文化には言語的に死ねと悪態を吐いた。
「今の内に英語に不自由しない日本人魔法使い引っ張って来る事をお薦めしますよ。日本語理解出来るイギリス人に比べたら絶対に人数多いんで」
「ふむ、そうじゃのう」
「あ。矢っ張りそこまで労力裂きたくないって感じっすね」
この辺、ダンブルドアは判りやすくて素直な人だ。素直な割に腹黒だけど。
「じゃあ、その子が卒業するまでの間は俺がメンテしましょうか?」
「おお、それはそれは。引き受けてくれるのか」
「その代わり、ホグワーツ卒業したらその子、俺に下さい」
「……ロリ」
「違いますって。てか、判って言ってますよね?」
研究者である俺が彼女を欲しい理由なんて、1つしかない。異世界から来た身元のはっきりしない人間なんて、最高じゃないか。
「条件がある」
「なんすか?」
「全てが終わらぬ限り、卒業しても手出ししないと誓って欲しい……具体的には、ヴォルデモート卿が完全に消滅する日までじゃ」
「え、彼女なんかそういうヤバイ感じのアレなんすか。別にいいすけど」
その条件なら協力するしかない。生活以前に人生がかかってる。
例のあの人が復活とか冗談じゃない、闇の陣営が脳と言語に関する研究を続けてもいいよと笑顔で許可してくれるとは思えない。寧ろ家系以前に親すらはっきりしない俺の場合、笑顔でこの世から退場処分されそう。
もっと戦争に役立つ研究してれば見逃して貰えたかもしれないけど、今更他の研究なんて出来ない。神秘部って風通し最悪のそういう職場だ、風通しが良かったら困る職場だし。万が一、天下取った例のあの人に世界各国の言語がネイティブ並に判りますって自己アピールしても、だから? と一蹴されてアバタケタブラされそう。
「ああ、じゃあ彼女のご機嫌取りましょうか。へそ曲げられたらヤバイですよね」
「いや……今はスネイプ教授に任せておる、問題が起きた場合のみ頼むやも知れぬが」
「ダンブルドア、幾ら若い男が他に居ないからってあの男はどうよ。いやまあ、中身20代なのに何もやろうとしないお嬢様だから? お似合いかもしれないけど?」
何がお似合いなのか判らないけど、そういう事にしておこう。
「ってか、その子? その女? 例のあの人退治の為にポッターの息子をフォローするんすよね。ならスネイプ一緒だとまずいんじゃないすか、学生時代、あいつとポッターとの仲、最悪でしたよ?」
「愛は奇跡を呼び起こすと、儂はそう信じたい」
「はあ、そうっすか」
信じたい……じゃねえよ老いぼれ、何か今自分は良い事言ったみたいな顔止めろ。例のあの人消滅させたいんじゃねえのかよ、二兎追うな、大事な大事な一兎に絞れ。希望的観測口に出さずに現実見て問題を処理しろ。夢を見るのは素晴らしいとか本気で思ってるならまず目を覚ませ、そして夢以上に現実を見ろ。
駄目だこれ、近い内に国外脱出しないと駄目なやつだ。非インド・ヨーロッパ語族で、人種的に溶け込めて、国内の治安がイギリス並に良い国。
中東、いや、あそこら一体は昔イギリスが幅を利かせていたから何が起こるか判らん。ソ連というか東側全域が纏めて崩壊中で身の危険を感じる、東アジアは中東よりヤバイ。タイ以外の東南アジアは論外。北米も駄目、アフリカは無理。中米、南米……この辺なら行けるか、インド・ヨーロッパ語族だけど人種を誤魔化す方が大事だ。
そうだ、ウルグアイに行こう。書類上の行き先はヨルダンに偽装して。
「いや、まあ、貴方がそう信じているならそれでいいすよ、もう」
魔法と、メンテナンス方法だけ教えて、今日は帰ろう。それで、今年中にウルグアイに逃げよう。研究成果はアメリカ辺りに売ろう、買い叩かれそうだけど背に腹は代えられない。慎ましく生活すれば問題ない程度には貯蓄もある。
ああ、折角公然と人体実験出来る機会だったのに。いや、命あっての物種だ。口約束で助かった、逃げれる内に逃げないと死ぬのは今も昔も変わらない。
俺は他国で傍観者になる、他人の命など糞食らえだ。