曖昧トルマリン

graytourmaline

[ 創竜伝 | 余 | 流血注意 | 『竜の罪跡』の続編 ]

 ぼくには、夢遊病の気があるらしい。自覚はないから本当か嘘かは判らないけれど、普段嘘を吐かない人達も皆口を揃えてそう言うから多分真実なんだろうと思う。
 今もこうして、気が付けば廊下を一人で歩いていた。ぼくの家の廊下じゃなくて、恋人である彼の家の廊下。扉の向こうのリビングからあの人の気配がした。
 ゆっくりと扉を開けて足音を殺して近寄ると、彼はソファに腹這いになって、幸せそうな表情で雑誌を眺めている。内容は、家族や恋人と行きたい遊園地特集。そう言えば、今度一緒に遊園地に行こうかと誘ってくれていたんだ。
 ぼくとは一回り年齢の離れた広くて大きい、男の人の背中。足元に回り込んで、その上にうつ伏せで倒れ込んでみると、何とも表現出来ないような声で驚きを表してくれた。彼の手から滑り落ちた雑誌が床に落ちて、水のように融けながら膨張していく。
「余、起きたんだ」
 落ちた雑誌に気を留める事も無く、彼はぼくの体の下で笑いながら言った。穏やかで優しい、とても彼らしい笑い方だった。
 そんな彼を少しだけ困らせたくて夢遊病のふりをして黙っていると、一層彼の胸の辺りが弾んだみたいで、ぼくの体は上下に揺さぶられる。
「返事がないね、狸寝入りかな。可愛らしい掛け布団君?」
「……」
「丁度良い暖かさだけど、ちょっとだけ重いから下りてくれると嬉しいな」
「……」
「どうしようか、黙りだ。それじゃあ、そこから下りておれの目を見てくれたら、恋人のキスをしてあげる。これならどうかな?」
「……寝てます」
「無事、起きてくれたみたいだね」
 上機嫌に笑う彼に敵わなくなって、ソファと彼の上から下りてフローリングに立つと、何故か足元が濡れた。よく見ると、さっきの雑誌がクラゲのように半透明の塊になっていて、勢い良く成長している。けれど、彼はそれに気付いていない。
 何か変だと思ったけど、彼が両腕を広げておいでと言ったから全部がどうでも良くなってしまった。この人の腕の中は広くて暖かくて、とても居心地が良い。
「ほら、余。おれの目を見て。顔を上げてくれないと、キスが出来ない」
 頬に手を添えられながら上を向くと、彼が虚ろな慈母の表情で笑っていた。この笑顔を、ぼくは知っている。知って、しまっていた。
 それは彼が、あの時、自分の頭を、銃で。
「あ、ああ……」
「そうだよ、余。忘れるなんて許さない。おれは、お前を赦さない」
 軽い、これで人間が死ぬのかと思える位に軽い破裂音がして、真っ赤な血と桃色の脳が辺りに飛び散った。彼の頭が半分弾けて消えている。透き通った茶色の片目が落ちて、フローリングの上を転がって、止まった。彼の目が、ぼくを見ている。
 これは夢だ。
 あの時の悪夢が、彼の呪いが今日もまた、ぼくを責めている。
 ぼくは、彼のお兄さんを殺した。殺してしまった。殺して、服を剥ぎ取った。だから、彼はぼくを呪った。自分の命を引き換えにして。
 彼はぼくを許してくれない。どうしたらぼくは、彼に許してもらえるのか、判らない。
 ぼくの肩を背後から濡れた手が掴む。振り返ると、そこにはぼくが殺した彼のお兄さんが居た。クラゲのように、半透明な姿で。
 ぼくを責める為に生まれた2人は、両耳に唇を寄せて、彼の声で言った。
「恨むぞ化物」
 きっとぼくは死ぬまでこの夢に、彼の呪いに縛られ続ける。

取り残された呪詛