[ モノノ怪 | xxx ]
茶褐色の、四足の巨体が奔る。
森の木々を薙ぎ倒しながら太く咆哮し、玉虫色をした大粒の雫を目元から溢れさせたそれが右へ左へ跳躍を繰り返しながら、やがて人の姿をした男へと突進を開始した。
辺り一帯を紅色に染め上げているのは西日か血潮か。西日にしては朱過ぎる、かと言って血潮にしては匂いがない。そこまで考えて、花売りは自分が夢を見ている事に気付いた。彼の夢には、匂いがない。
人の姿をした男は何かを握り締めたまま白い腕を前へ上げ、紫で彩られた唇で何事かを呟いている。彼が一体誰であったのか、それを思い出す前に白い肌は黒へと変化した、ように見えた。実際は、違うのかもしれない。
黒い肌の男が所持していた何かから黄金と橙の光が四足の巨体を両断したが、尚もそれは絶叫を続ける。この世の全てを呪うかのように。
それで、ようやく思い至った。
「あれは。『ハナ』」
ヒトでもアヤカシでも無くなってしまった、毒々しくも美しく咲く大輪の。
傷口から溢れた血潮が玉虫色に混ざり、虹色となって辺り一帯へ流れ出す。四足のそれは、未だ慟哭を続けていたが、やがて力尽きて自らの体液の中に沈んだ。
虹色の体液は小さな池となり、その上に転がった残骸がゆっくりと下へ消えて行く。ずぶり、ずぶりと、まるで底なし沼に呑まれるようにして消失したそれを、反転した白の男が黙して見下ろしていた。
そこで、再び思い至る。
「あれは。クスリウリ様」
白の男は花売りに聞き取れない声量で何事か言うと、商売道具一式を背負って何処かへと去って行ってしまった。後に残ったのは、夢を見る花売りと、極彩色の沼地。
そして最後に、思い至ってしまった。
「あれは」
自分自身の成れの果てだと。