曖昧トルマリン

graytourmaline

[ HP:恋愛+HTC1 | ヴォルデモート+メルヴィッド | メルヴィッド視点 ]

 腰に触れた布地の感覚で、意識が浮上した。
 唇が無意識に動き、同居しているあの外見ばかりが若作りの老いた化物の名を呼ぶ。
 けれどどうしてか、その単語が妙に甘ったるく耳についた。舌打ちをしようにも体は私の意志に反し緩く瞼を上げるだけで、全くの他人の体のように動く。
 いや、ように、と言うのは正確ではない。正にこの体は他人の物で、私自身は見覚えの全くない場所に居た。
 視界の端には極彩色の山が連なる景色が見える、見慣れない建築様式の家の中、目の前に現れた年端も行かない派手な民族衣装を着た子供という常軌を逸したとしか思えない光景。それを当然として受け入れ勝手に動くこの体が、私の物であるはずがない。
 案の定、私ではない誰かの体が勝手に口を利いた。
「……今は、何時だ?」
「ええとね、2じ30ぷん。おひるの。ごめんなさい、おこしちゃった?」
 問いかけに答えた子供は片手で捻り潰せそうな未熟な体をしていて、生白い肌に対してドス黒く長い髪、肉色の唇から放たれる言葉は舌足らずで高く、どれを取っても不愉快極まりない。見覚えのある、瞳孔と虹彩の見分けが付かない闇色の瞳、それに映る外見だけは私によく似た男の浮かべた表情を見てしまい吐き気すら覚えた。
 こんな表情を私は知らない。私は、しない。
 こんな耳が腐り落ちそうな声で、他人の名を呼ぶ事はありえない。
「丁度、良かった。厭な夢をね、見ていたんだ」
「こわいゆめ?」
「怖くは無かったかな。ただ……酷い、とても酷い夢だった」
 私よりもやや老いた手が、あの化物の面影を残し過ぎている子供へと伸ばされ、子供もそれが当然という表情をしながら膝を付いてその手を取った。
 指先や手の平に張り付くような、生暖かい皮膚の感触に怖気が走る。
 それだけでも到底耐えられないような感覚だったにも関わらず、男は化物の名を呼びながら傍に居てくれと情けなく懇願し、更に腕に力を込めて子供の体を抱き込んだ。
 そのまま抱き潰して、物言わぬ肉塊に変えてしまえばいいものを。そうすれば今より多少は不愉快でなくなるのに。
「とても、酷い夢だったんだ」
 私と同じような顔をしていながら他者に慰めを求める弱い男に対して苦虫を噛み潰していると、あの化物と同一人物とは思えないような正確さで子供は男の意思を汲み取り、ありきたりな慰めの言葉をかける。茶番だが、笑えもしない。
 夢見が悪かったか何だか知らないが、頭がイカれた男は何を思ったのか腰に掛けられていた毛布を空いていた手で広げ、よりにもよって化物の子供と同衾する準備を始めた。男の気は狂れているとしか思えない。
 両腕に、胸に、鼻筋に、頬に、肩に、首筋に、顎の下に、前上半身から伝わって来る他人の感触に、私の気も狂いそうだった。
 そろそろ鼓膜を伝って脳が崩れてもおかしくない声色で、男は飽きもせずに化物の子供を何度も呼ぶ。肩口に触れた子供の体温が気持ち悪くて仕方がない。
「甘い、焼き菓子の匂いがするな」
「うん」
 告げる必要も感じないどうでもいい事を男は呟き、子供が首筋付近で笑う。肌に触れた吐息が嫌で嫌で堪らなかった。
「さっきね、かぼちゃのタルト、つくってみたの。あとで、たべようね」
「勿論一緒に?」
「うん、いっしょ。上手につくれたらね、こんどは、りんごのパイつくるつもりなの。パイのつくりかたも、本でべんきょうしたから」
「アップルパイ、か……確か、今年は梨が沢山採れたと言っていなかったか? 余っているなら、林檎ではなく梨で作ってみてはどうだ」
「なしのパイ? ふふ、おいしそう」
 下らない事ばかり喋る舌を引き抜き、首に絡みついてくる腕を千切ってやりたい。いや、右腕、それが不可能ならば右手だけでもいい。この不愉快で気味の悪い状況から脱出する為に、ほんの数秒の自由が欲しかった。それだけあれば、この2人を殺せる。息の根を止める事など造作もないのに。
 臍を噛みながら一向に自由の効かない体は男の好きなように操られ、人体の中でも感覚が鋭敏とされる唇と舌先が子供の頬を上を這う感覚を得た時には、流石に私も吐き気に耐え切れず声を上げて発狂したくなった。ただ、発狂したとしてもこの2人は何があっても絶対に殺す、特に男の方は念入りに殺す、それだけは心に固く誓う。
 塩辛いだけなのに甘いと言う、舌が馬鹿になっている男を頭の中で八つ裂きにしている最中、寸詰まりの醜い指先が頬に触れた。黒い瞳に反射した男の表情は、私の顔だというのにだらしなく溶けきっている。
「リドーさん、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ、良い夢を」
「リドーさんも、こんどはいいゆめを」
 最後の最後に、無邪気さを消してあの化物によく似た笑い方をした子供は、それからすぐに目を閉じて、数分もしない内に眠り込んでしまった。煩くない分こちらがマシだが、不愉快な事に変わりはないので今の内にどうにかして殺してやりたい。
 しかし結局、私の望みは最初から最後まで叶えられず、男は男で無防備に眠る子供の額や鼻筋、頬、瞼の上に、自分の手の平や頬、そして唇を押し付けると言う性犯罪臭い事を散々念入りにやらかしてから目を閉じた。
 どうにもこの顔ばかりが私に似ている男と私の意識は中途半端に繋がっていたようで、男が眠りにつこうとすると私の意識も朦朧とし始める。
 しかし、私の胸の内に溜まった理不尽で不愉快極まりないこの感情はどう処理するべきか。眠気に襲われた脳ではまともな考えなど思い浮かばないが、それでも考えてしまう。
 ひとまず、もう一度目覚めた時、同じ様に目前にこの2人組が居たら、例えどんな手段を用いても絶対に殺してやる事を決意して、私の意識は闇に飲まれた。

異世界過去軸未来形