[ HP:HTC1+恋愛 | メルヴィッド+ヴォルデモート | ヴォルデモート視点 ]
浅い眠りから覚めると、暗い見知らぬ部屋が視界に入って来た。
棚には本と、分厚いファイルと、部屋に不釣合いなようにも見える少しの小物。そして何かが書き記してある大量のルーズリーフの束。外を見ようと体を起こしたが、カーテンの隙間から見えた景色は暗く、霧が低く、深く立ち込めている。
首を動かして枕元の時計を見ると、時刻は午前2時半。耳障りな秒針音のしない置き時計にも見覚えはない。
一体どういう事かと考え込もうとして、体が思うように動かない事に気付いた。私の意志とは全く関係無く、体はベッドから抜け、勝手知ったるとばかりに部屋のドアを開けて然程広くもない廊下に出る。
典型的なテラスハウスの造りをしているこの家から見て、どうやらここはイギリスらしいと見当を付けた。勿論違う可能性もあるが、この土地の空気や家の雰囲気は私の生国と酷似している。
階段を下り、ダイニングと思われる方向に足が向かった。水の一杯でも飲むのだろうか、そんな事を考えていると進行方向から明かりが漏れている事に気付いた。消し忘れでは無く誰かが居るような気配がするが、それが誰なのかこの体の持ち主は知っているようで、躊躇する事無く目前に迫ったドアの取っ手を掴んで捻る。
先の空間に、見覚えのある顔立ちの、和装の青年が宙に腰を掛けて浮いていた。
奥の空間を透かす肌は真珠のように白く、真っすぐ流れる黒髪は絹のような光沢を帯びている。優美な薔薇色の唇が無造作に軽く開いて、長い睫毛に縁取られているアーモンドアイがこちらに視線をやった。
その、夜空よりも深く澄んだ黒に、この青年を形作る全ての要素に見覚えがあった。
彼は、あの幼子が成長した姿だ。理由は判らないが、美しい青年へと成長したあの子が目の前に居た。
『どうされたんですか、そんな格好で』
「黙れ、私に構うな」
目を細めながら発せられた慈愛を含んだ言葉を切り捨てたこの体の持ち主は、青年に背を向けて隣接するキッチンの棚の中からブランデーの瓶を取り出す。
丁度それが不出来ながらも鏡となり、体の持ち主の顔が映し出された。その顔立ちに、人知れず息を呑む。
青白い顔をした男の姿形は、紛れも無く若い頃の私だった。恐らく年齢は20代だが、瞳は既に紅色に染まっている。かなり、人を殺した後の私だ。
男は虫の居所が悪く苛立っているのか、本心からの優しい声で体の心配をする青年を無視してブランデーの蓋を開けようとする。それを取り上げて、青年は上着とスリッパを強制的に着用させた。
『風邪を引いてしまいますよ』
黒い瞳に映り込んだこの男の表情は不機嫌極まりないものだったが、青年は相変わらず慈母の表情で微笑んでいる。こんな遣り取りは日常茶飯事だとでも言うように。
『それと、料理用に買った安物のブランデーをそんな大きなマグカップで飲んだら、流石に貴方でも悪酔いしますよ』
「だからどうした、それを返せ。お前には関係ない」
『ナイト・キャップにホット・ブランデー・エッグ・ノッグでも作って差し上げますから、暖かくして待っていて下さいね』
口の悪い男の手からマグカップも取り上げて、直球で放たれる不機嫌を受けても尚、青年は愛しい子供でも見るような目付きをし続けた。
この男の言動ならば、例え罵倒だろうと全て受け容れる事が出来るとでも、言うように。
ぎちり、と胸の奥が鳴る。美しく優しい青年の好意に甘え、且つそれを蔑ろにするこの男が許せなかった。私と同じ顔をした、私とは全く似ても似つかないこの男に怒りを覚える。
指の一本も自由に出来ない不自由な体を恨みながらダイニングチェアに座ると、すぐに膝掛けが現れた。それにすら舌打ちで返すこの男を、私は殺してしまいたかった。
程なくして青年は湯気の昇るマグカップをテーブルの上に置き、男の反対側に座って指先を軽く振る。俄に、キッチンが騒がしくなった。
青年を視界に入れないようにしながらマグカップに口を付け、感謝の言葉も告げずに今更な事を男が訊く。
「何をやっていたんだ、こんな夜更けに」
『パイ生地の作り置きが無くなりかけていたので』
「……パイ生地」
『夕食のデザートにアップルパイを作ったでしょう?』
「ああ。それで残り少なくなって、作っていたのか。こんな真夜中に。ご苦労な事だ」
『まあ、趣味みたいなものですから』
青年がふわりと笑う、気配がした。あの幼子と全く同じ、柔らかく暖かな気配だった。
にも関わらず、男は再び舌打ちをしてマグカップの中身を半分ほど呷る。男が舌を火傷をしないよう温めに作られた、甘くて優しい味が口の中に広がった。
この青年の気遣いが判らない程、鈍感な訳でもないだろうに、それでも男は何も言おうとしない。彼に尽くされて当たり前だという態度が腹立たしい。
古そうな掛け時計が大きな秒針音を放ち、それを20回も聞いてから男が再び口を開く。
「……タルト生地は」
『タルトですか? 貴方が食べたいと言うならば喜んで作りますが』
「誰が食べるか。いいか、何があってもタルトは絶対に作るな、私はしばらくそんな物見たくもないんだ。特に南瓜で作ったら何があってもお前を殺す、いいな、判ったな?」
三度目の舌打ちと共に吐き出された台詞にも青年は動じず緩く笑って、その内食べたくなったら言って下さいねと和やかな口調で返して来た。
心温かい言葉にも関わらず、男は無視を貫いてもう半分の中身を飲み干して立ち上がる。視線の先に、百合のように白く細い手と桜色の綺麗な爪があった。けれどそれ以上、男は顔を上げない。意図的にだ。彼の、何が気に入らないと言うのか。
「薄気味悪くて、不愉快極まりない夢を見た」
『どのような?』
「……口に出すのも厭な夢だ」
そこまで言って、男はやっと青年の名を呼んだ。彼の名は、あの幼子と全く同じ名だった。矢張り、彼はあの子なのだ。ここが何処で、一体どういう状況かは判らないが、彼はあの子に間違いない。
だと言うのに、男は私の顔で、彼に酷い事を言った。
「しばらくは、私の視界にその顔を入れるな」
酷い、全く酷い言い草だ。けれど、彼は苦笑して首肯する。何の理由も告げていないのに、余りにも簡単にその横暴を許容する。
何故、私はこの男なのか。右腕、いや、手首から先だけでもいい、そこさえ自由になればこんな男、一思いに殺してやれるのに。
『メルヴィッド』
そして、美しく育ったあの子も男の名を呼んだ。名を呼ぶ価値すらない男を、柔く甘く、あの子は呼び止める。そこには怒りや悲しみなど微塵もない。ひたすらに、全てが優しい。
『おやすみなさい。今度は良い夢を』
その言葉に男の顔が上がる。視線の先には柔和な笑みを浮かべる黒い瞳、けれどそこに映る男の表情は先程よりも青褪めて見えた。
青褪めた男は乱暴に開けたダイニングの扉から出て行くと、階段を急ぎ足で上り先程居た寝室の扉に鍵を掛ける。乱れた息のままスリッパと上着を床に投げ捨て、冷たくなったベッドに潜り込んだ。
程なくして、男は再び夢の世界へと旅立つ。
そして私は、このメルヴィッドと言う名の男と共に、意識を暗闇の中に落としていった。