曖昧トルマリン

graytourmaline

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 夜に冷された空気が、窓の向こうからじりじりとこちら側に這い出す気配がする。
 座ったまま意識が沈んでいた事に気付いて現在時刻を確認するが、幸いほんの数秒落ちていただけだった。しかし、気を取り直してテーブルに向かう気にはなれない。
 テーブルの上には一枚の羊皮紙、筆記具、そして教科書と用途不明の道具。
 最後の物体には一応ホロスコープという名前は付いているが、授業内容を聞く限りあって何になる訳でもない道具だ。
 おれにとって未知の文字、あるいは理解不能な単語をただ並べただけにしか思えない占い学の教科書、そこに細い影が落ちた。ページの上を滑っていく指先が青白い。
「だから、嫌いな課題を先延ばしするなと言ったんだ」
 ぼんやりとしていた頭に、愛している人の声が入ってくる。このまま眠ってしまいたい。
「おい、寝るなブラック。普段は真夜中だろうと容赦なく起きているだろう」
 好きな事をしている時に眠くならないのは当然だろう。そう軽い口調で返そうとしても、思考は鈍化して神経伝達を上手くこなすことが出来ない。これはもう諦めた方がいいと言うサインだろう。人生の中で諦めて大丈夫な事象は結構ある、占い学のレポートはその一つでいい。
 元々、目の前で今説教垂れているこいつと一緒に居たくて始めただけの学科だ。成績が多少アレでも問題ない。
「……もう知らんぞ」
 こちらもおれの説得に諦めてくれたようだった。出来れば完全に落ちる前にキスの一つでもして貰いたい、そんな淡い期待を込めて瞼を上げる努力をしてみる。
 眠たげな狭い視界にうっすらと入ってきたのは、愛しい笑顔ではなく白い三日月だった。青い硝子を薄く延ばしたような空にぽつんと浮かんでいる、星は見えない。
 視界の外で靴音が遠ざかる気配がしたけれども、振り向く余力は無かった。
 目を閉じると、瞼の裏に今見ていた月がやけにはっきり映る。細い細い針のような月は、虚ろな意識のおれでも美しいと思った。
「月が綺麗だな」
 そう言って眠ってしまったおれは、足音が止んだ事に気付く事はなかった。

繊月の夜