[ 創竜伝 | 余 | 少し暗い ]
外界から遮断された耳を伝ってあの人の声が脳へ響く。
丁度今、ぼくが送ったメールの返信を声に出して読み上げ、最後の確認をしているらしい。内容は大した事じゃない、けれど、そうでもしないと一人暮らしのあの人は滅多な事では喋ってくれないから仕方がない。
動物でも飼えば独り言は増えるだろうけれど、その分ぼくへ割り当てられる時間が減ってしまうのは目に見えているし、何よりも激しい嫉妬を覚え最悪殺してしまいかねないので今だ提案せずにいる。
『よし、送信、と』
笑みを含んだ甘く優しいテノールが心地良かった。両耳をすっぽりと包んだヘッドホンを押さえ付けると、あの人の声が近くなる。それでも、抱き締められたときに降る声よりは遠く、雑音も混ざっていた。
机の上の携帯が震える。あの人からだ。
「今日は、椎茸のキャベツ巻きと豚汁。余君は何食べた?」
あの人の文章を声に出して読み上げても、声はぼくのものだった。それ以外にない当然の結果に薄ぼんやりとした不満を覚える。
あの人の声がまた聞きたくなってグラタンとキャベツのスープと返信すると、耳の奥で単調な音が鳴る。無精なあの人は携帯の着信音を買った時のまま替えていない。今度、ぼくの着信音だけ変えようかと思う、勿論、本人の同意を得て。
機械を通してあの人がキャベツ大人気だなと笑いながら呟いた。そうですね、と返しても勿論会話は成立しない。
電話をかけたい。会話をしたい。その欲に動かされて携帯を手に取ると、また耳の向こうで電子音が鳴る。ぼくじゃない、ぼくはまだ電話を手に取っただけだ。じゃあ、誰だ。
『なんだ、始か。どうしt』
皆まで聞かず機械の電源を落とす。ブチン、と厭な音がしてヘッドホンも乱暴に投げる。
あの人は始兄さんの同僚だ。だから、電話が来たっておかしくない。ぼくとは違う、親しい者と会話する時の声が出たっておかしくはない。そんな事は判っている、百も承知だ。
「待ってて、先生。もう少し、もう少しで貴方の声が毎日聞く事が出来る」
高校生になったらあの人の生徒になって、大学生になったらあの人の後輩に、そして恋人に、同僚になろう。あの人の隣に立って、毎日声を聞く為に。
「だから先生、もう少しだけ待ってて」
大丈夫、ぼくはあの人を幸せに出来る。だって、こんなにもあの人を愛しているんだから。