血塗れレインコート
腹部、胸部、頭部、眼球から口腔部、排泄器官にまで容赦なく刃が入っていく様子をただ黙って見下ろしていた。
隣で私に付いてた鴉の両名が怯んだ事を察し、この者達を即座に別の部署へ飛ばすよう書類を用意する事を頭の中にメモしておく。
真っ白い教団服を纏った男達が少年を解体していく作業は始まったばかりだ。切り離された右腕を動かしてみろと誰かが言うと切り裂かれた顔面を歪めてにたりと笑い、指示通り右腕と五指を動かしてから満足かとでも言うように手首から先を軽く降った。
続いて左腕、右足、左足、まるで人形の様に四肢を切断されても尚、手術台の上の彼は不気味な笑みを湛えたまま大人しく指示に従っていた。内臓を剥き出しにされ、脳を曝け出された姿からはとてもじゃないが普段の彼を想像できない。
「ひゃあ、はうほふ」
喋れ、という指示が為されると、何時もと同じ陽気で暢気な声が私を呼んだ。やあ、マルコムとでも言ったのだろう。流石にここで愛称に坊や呼ばわりされない事に安堵した。抉られた眼球が瓶の中で私の方を見て、それと視線を合わせていると、教団員に会話をして欲しいと告げられたので仕方なく声を掛ける。
「元気そうだな、」
「ひっへんひ、ふひふぁふぇふふはいはへ」
「済まないが何を言っているのか私には理解出来ない」
澄ました顔で言ったが、理解はしていた。実験に、付き合えるくらいはね。彼はそう言った。
彼は私が理解している事も察している。皮膚を剥ぎ取られ原形を留めていない顔の筋肉が引き攣っているのを見ると、多分笑ったのだろう。何故笑うのか。決まっている、こうして人体実験されている自分を平然と見下ろしている私が嬉しいのだ。全く、彼は歪んでしまっている。
彼の歪みの原因は死ねなくなった事だと以前聞いた覚えがあった。剣も銃も近代兵器も、そしてアクマでさえも、思考以外の全てをイノセンスに支配された彼を殺すという事は容易ではない。
そんな彼が私の駒となると告げて一体何十年が経っただろう。
言葉通り、は私の思うように動いてくれた。エクソシストとしての任務以外にも、色々と力を貸してもらい彼の手はアクマと人間の血で汚れている。最初こそそれが心苦しくあったが流石に今はもう慣れた。彼は私に会う度に自分は駒だ、好きに使えとと何度も囁くのだ、私が望もうがの望まなかろうが、彼は決してその立ち位置を変えないのだろう。結局は根負けしてしまい、私は彼の歪みに感化されてしまった。愛する彼をアクマの群れの中に落としても心が微塵も痛まないまでになった。
私は元々情の薄い性格だったが、それでもまだ希薄さが足りないと彼は酷く不満そうであった。道具にそこまで入れ込むなと彼に忠告されたが、私は自分の持ち物を大切にしているという旨を告げると納得したようですぐに黙ったという事もある。半死半生で教団に帰ったと報告書が上がってきても眉一つ動かさなくなっただけ成長したと思ってもらいたい。
「ほおひふはったへ」
大きくなったね、そう言って捲くれ上がった瞼の下から現れた丸い眼球が私を見る。そう言えば最後に会ったのはもう一年も前の事だった。
「髪が伸びているな、伸ばしているのか」
「はうほふひふぁっふぁはは、ひうほ」
マルコムに会ったから、切るよ。どうやら願掛けをしていたらしい。私としては長い髪も似合っているから切る必要はないと思うが、この場でそんな発言が出来るはずも無く、冷たい態度を演じながらまだ会話が必要かと白服の教団員を睨んだ。
竦み上がる人間達から視線を外し、手元の資料に目を通す。
寄生型イノセンス適合者、・の記録はシンクロ率の変化からイノセンスの能力まで様々な事が書かれている。備考欄にはルベリエ家の適合者とも書いてあった、彼は「聖女」以降に私の家系から唯一適合者となった人間でもある。
そして、教団設立後初めての寄生型という事もあり、こうして定期的に検診という名の実験を受けていた。私の駒になると告げたあの日も、今日みたいに切り刻まれてしまったのだろう。目の前で行われている程度の検診ではへらへらと笑っているが相当痛かったと語った記憶があるから、手酷い扱いをされたのだろう。
その時ばかりは私の心が痛んだが、彼は優しい表情で道具に対してそんな顔をしてはいけないよと諭してくれた。そんな彼の歪んだ愛情に触れていくうちに私の面と心の皮は相当厚くなったようだ、今ではこうして彼が解体されていく様子も表情一つ崩す事無く眺めていられる。
しかし、こうして彼を見下ろす事ももうすぐ終わるだろう。新しく教団本部の室長になる男は適合者の実験を強固に反対する姿勢を持っていた、恐らくこの診察と評される悪趣味な拷問も見ないで済むに違いない。歪んでしまった彼の心はもう元には戻らないが、それは仕方ない事だと諦める。やるべき意味が、あるにはあったのだ。
一つ、彼の叩き出した成果は、本来普通の人間より寿命が短いと聞く寄生型でもほぼ全ての細胞がイノセンスと化せばその限りではないという結果だろう。報告書によるとは上半身を吹っ飛ばされても死ななかったらしい、昔彼が言っていたように最早・は人間ではないのだ。
別にアクマのように殺人衝動があるわけではない。ただ私の命令で動く場合に少しばかり自分の体を大切にしない傾向が認められるが、肉体をほぼイノセンスに支配されているには何を言っても無駄だろう。
唐突に、鼓膜が破れるほど大きな警報音が鳴り響いた。まただ、またエクソシストの脱走者が出た。
「ああ、またリナリーか」
鴉が全く動けないのを読み取ったのか、おもむろに手術台から起き上がったは超再生させた体の上に白に赤の斑模様の手術服を着て大きな溜息を吐く。今日はもうこれでおしまいでいいよね、と告げる言葉には誰も反論せず、ただ私だけが早く行けとリナリー・リーという名の少女を捕らえるよう促した。
昨日から何も食べていない、胃が空っぽで空腹すら忘れてしまいそうだよ、そんな不満をつらつらと述べながらも手術室を飛び出したの姿がモニターに映る。彼ならば例え相手がエクソシストであろうが生け捕りするのは朝飯前だろう。
『リナリー、リナリー、逃げては駄目だ。大丈夫、そのうち、全てに慣れる』
謡うように外へ飛び出したは霧雨に濡れた森の手前で小さな影を捕まえる。そこまで確認すると、私は安堵する教団員に背を向け歩き出した。手術着のままのにレインコートを持っていく為だった。