曖昧トルマリン

graytourmaline

歪んだ犬と子供

 少年はその犬と家族でした
 とてもとても大切な家族でした
 しかしある時その犬は死んでしまいました
 悲しんだ少年は教会の神父に尋ねました
「神父様、彼はちゃんと天国に行けたでしょうか?」
 神父はとても優しい表情でこう答えました
『馬鹿を言うものじゃない、犬は天国へ行けないよ』
 つまりね、可愛い坊やの大好きな犬は天国へも地獄へも行けないんだよ。この場合は犬はぼくで、子供は君だ。
 ぼく等の信じている宗教では、天国に行く権利を持つのは人間だけなんだよ。コルム坊や、人間の君は天国や地獄へ行く事ができるけれど使徒であるぼくは何処へも行く事が出来ないんだ。それ以前にぼくの場合はイノセンスに寄生されて歳を取らないし死ねないから、天国も地獄も関係ないんだけれどね。
 なんだいコルム坊や。この呼び方は止めろだって?
 嫌だよ、だってコルム坊やはコルム坊やじゃないか、年齢なんて関係ない。それに他に誰かがいるときはちゃんとマルコムって呼んでいるだろう、違うって? ルベリエとファミリーネームで呼べって言うのかい。
 困った坊やだね、中央庁や教団本部にどれだけの「ルベリエ」が居ると思っているんだい。第一ぼく自身も名前は違えど「ルベリエ」の一族だしね……そういう可愛らしい顔はぼくの前だけにしなさいね。他の誰かの前でそんな顔をすると付け込まれるよ、敵は何もアクマだけじゃないんだ。
 何で急にそんな話をし出したかって。
 別に深い意味はないんだよ、ただね、コルム坊やにはぼくが一体どういう考えを持ってエクソシストをやっているか知って欲しかったんだ。うん、確かに坊やの言う通りあまり深く考えて任務をしている訳じゃないんだけどね、ぼくは一族の中でも稀に見る馬鹿だし。
 ねえ、それでもね、コルム坊や。
 ぼくはね、君に仕えたいんだ。
 イノセンスに造り変えられた歳を取れない死ねない体、いつ終わるかも判らない戦争、後手後手に回る不利な戦況に無能な上官、こんなどうしようもない塞いだ世界の中で、ぼくの末裔、マルコム=C=ルベリエ、君の存在だけがぼくを支えているんだ。
 なんだい、随分驚いた顔をしているね。そりゃあ、確かに君の父上との仲は良くないよ。
 あの子もね、もう少し思考に柔軟性があって、器が大きければそれなりに仲良くなれたのだけれどね。成果が出てないくせに実験体の提供は止めないし、何よりこの組織を私物化するために権力を欲してる所が気に入らないんだよ。
 ん、なんだって。コルム坊やも同じようなものだって言いたいのかい。
 そうかな。少なくともコルム坊やが権力を欲するのは家の為じゃなくて、戦争に勝つ為だろう。それにね、何よりもぼくは、あの言葉を聞いた時に決めたんだ。
 昔、今よりももっと幼かった君が、ヘブラスカに言った、あの言葉。
 同族殺しなんて、賢い君ならそんな事を言えばあの父上に張り倒される事くらい判っていただろうに。それでも言い放ったあれを聞いた時にね、決めたんだ、ぼくはこの力を以って君の駒になろうって。
 頼むからそんな切ない顔をしないでおくれ。君がぼくを慕ってくれるのはとてもとても嬉しいけれど、それ以上にぼくはただの人間である君の道具で在りたいと思っているんだ。ぼくは人間がこの戦争に勝つ為の、君が伯爵を倒す為の力で在りたいんだ。
 実験体としてイノセンスを入れられたあの日から、残念なことにぼくはもう人間ではなくなってしまったんだよ。心も体も人生そのものもをイノセンスに奪われた、天国へ行けない神の使途という名の化け物だ。ぼくは人間の皮を被ったイノセンスなんだ。だから……
 ああ、何か騒がしいと思ったら、皆ぼくを探しているんだね。ごめんね坊や、これから少し検診があるんだ。だからね、なんだいその情けなくて可愛らしい顔は。いい子だからね、この手を離しなさい。
 困ったな。ぼくの所為で坊やの評価が下がるのだけは避けたいんだ。なんだい、コルム坊や。本当に少しの検査かって、疑い深い子だね。ただちょっと腹や頭を開けて全身に異常がないか調べるだけだよ。
 ほら、なんでそんな唇を噛のかな、切れて血が出てしまうよ。
 それとね、その迫力ある憎悪に満ちた目は止めなさい。反逆分子として異端審問にでもかけられたらぼくは任務放棄して命懸けで坊やの救出に行かなければならなくなるから。
 助けに来てくれるのかって、それは当然だろう。ぼくはコルム坊やの駒なんだから、差し手が居ないと駒はただのオブジェになってしまう。
 自分を駒だって勝手に決めるなって言われても、じゃあコルム坊やはぼくにどうなって欲しいんだい。
 外見こそ少年だけれど、中身はイノセンスと、ほんのちょっとの血肉と、よぼよぼのおじいちゃんで構成されているぼくを、ぼくは人間だと思えないんだ。
 言っただろう、ぼくは犬で君は子供、神父は差し詰めこの組織さ。
 参ったな、もうこれ以上は引き伸ばせないよ。やあ、科学班諸君、遅くなって済まないね。謝るから殺気立たないでくれ。ああ、可愛い可愛いぼくの坊や、それじゃあまた何時か会おうね。さようなら。