曖昧トルマリン

graytourmaline

Please become mine

 放課後の手芸部の部室で黙々と毛糸を編み続けているの目前で、竜堂余は少々不満そうな顔付きのまま、じっとその手を見つめていた。
 試しに声をかけてみても生返事をされるだけで、彼の全神経は今編んでいる毛糸の何かに注がれている。
 同性で中学生同士とはいえ、曲りなりにも恋人にそんな事をされて面白いはずもなく、空になったコーヒーのスチール缶が音を立てて握り潰されていった。しかし、その音にも、余の気配すらも完全に無視してかぎ針は単調に動き続ける。
 時折、その動きに合わせて甘い香りがした。いつだったかは香水を付けていているのだと言ったのを覚えている。そのうち余にもくれるとも言っていたが、今の所その気配は全くない。
 余がの前を陣取って30分程経過した今、いい加減気付いて欲しくなり、どうでもいいような言葉をかけてみた。
「先輩、編み物好きですね」
「ああ」
「今日も香水付けているんですか」
「そうだな」
「ぼくその香り好きです」
「そうか」
「……」
 他の部員たちは余がを訊ねに来た時点で気を利かせて帰宅しており、見るも無残な姿になった缶コーヒーは手芸部の顧問からのささやかな誕生日プレゼントだった。
 そう、誕生日。兄弟の上から下まで皆同じ誕生日という事は校内では有名で、朝から女子にプレゼント攻撃を仕掛けられる程には認識されている日のはずなのに、当の恋人はというといつも通り部室で編み物に勤しんでいるこの状況。
 おっとりとした気性の余でも、幾らなんでもこれはないんじゃないかと思った。
先輩。ぼく暇なんです」
「そうだな」
「編み物、楽しいですか」
「ああ」
「顧問の先生、先輩の好きなホットレモンティー置いて行ってくれましたよ」
「へえ」
「飲んでもいいですか?」
「うん」
「後で文句言わないでくださいね」
「ああ」
「今ぼくの言ってる事、ちゃんと理解出来てます?」
「そうだな」
 反射だけで答えているとしか思えない棒読みな言葉に、余はレモンティーのプルトップを開けて口をつける。舌がスカスカするような何とも言えない薬臭い味がして、何故はこの飲み物が好きなのだろうかと首を傾げた。
 一口飲んだだけでその缶を圧縮されたスチール缶の隣に置き、の顔を覗き込むようにして見るが、全く視界に入っていないらしく反応はない。
 結局余は、諦めが押し出した溜息を吐いて気のない返事しかしない恋人に向かって話しかけることにした。無言のままで居るよりは慰めになるだろうと判断した結果である。
「先輩、レモンティー口つけちゃいましたよ?」
「うん」
「でも、あんまり美味しくないです」
「へえ」
「先輩はレモンティーと編み物、どっちかが好きなんですか?」
「編み物」
 初めてちゃんと返って来たと受け取れる言葉に余は一瞬驚いたが、の様子を見ると先程と何ら変化はない。やはり反射的に答えているようだった。
「無意識に答える事が出来るくらい編み物好きなんですか」
「そうだな」
「編み物ってそんなに大切ですか」
「ああ」
 なんて馬鹿な事を訊ねているのだろうと再び溜息を吐き出すが、恋人として今の立場は非常に複雑なので、構わず質問を続ける。
「……編み物に嫉妬していいですか?」
「無理」
「何で無理なんですか?」
「余が一番だから、無理」
 今までと同じ単調な口調で言われた言葉に余の思考は一時停止し、理解した時は顔面を真っ赤にしての肩を掴んでいた。
っ!?」
「あ、余!? 悪い気付かなかった」
「今のどういう意味なんですか!」
「ごめんなさい、こいつに夢中で放置して」
「そうじゃなくて! もう一つ前!」
「前? 何? おれ、何か言ってた?」
「……いいえ、何でもありません」
 は赤面しつつも満面に笑みをたたえ抱きついてくる恋人に首を傾げ、しかし間違いなく怒っているわけではないので、安心して抱き締め返す。
 すると、今度は何かに気付いたのか余を離し、鞄の中から毛糸のバッグを取り出して余の前に差し出した。クリームがかった白地に濃紺の雪柄の模様をしたそれからは、同柄のセーターや手袋がゴロゴロと出てきて、どれもがざっくりとした手編みの触り心地がする。
「ほら、誕生日おめでとう。これからもよろしくな」
「なんだかそれ、お正月の挨拶みたいですよ」
「そーか? まだ正月ボケが抜けないのかな……じゃあ、おれの柄じゃないけど、生まれてきてくれてありがとう、とか?」
 再度抱き締めながら笑顔で言うと、余も確かに柄じゃありませんねと笑いながら返した。
「このプレゼント、全部先輩が編んだんですか?」
「おれにはこれ位しか取柄ないしな。因みにこのカウチンセーターは会心の出来だぞ」
 雪柄の模様で編まれたセーターを手に無邪気な表情をするに勧められ、余はセーターと残りの小物を抱えて姿見の前まで小走りに向かう。
 が付けているブラックローズの香りがするセーターに袖を通し、帽子にマフラー、手袋と、冬の必需品を着ていると、背後からのんびりとした声が聞こえた。
「本当はベストでもよかったんだけどさ、余はベスト、持ってるだろ。でも、そういう小物持ってる所見たことないからさ、あ、サイズ大丈夫か? セーターだけちょっと大きめに編んでみたけど」
「はい、大丈夫です。でもサイズなんていつ測……何飲んでるんですか!?」
「え、レモンティーだけど。駄目だった?」
「駄目、というか……それ、ぼくが口付けましたよ?」
「風邪気味とか?」
「いえ、そうじゃなくて」
 鏡の中に見えたの姿にうろたえる余に対し、当の本人はマイペース全開で好物のレモンティーを飲んでいる。
 間接キス程度で動揺する恋人の背中を見ながら、小動物みたいだといった感想を抱き、振り返った姿を見て、それがまごうことなく小動物だという確信に変わった。
「違和感が」
「え?」
「いや、なんでもない」
 大きめのセーターが全体的に毛玉の印象を与え、前通しのマフラーがそれを助長する。遊び心で作ったぽんぽんと耳当て付き帽子がハマり過ぎ、ミトン型の手袋も決して違和感を与えようとしない。
 大事な一人娘を見守る父親的思考を持つ竜堂家長兄あたりにこの格好での外出を禁じられそうだな、と視線を明後日に投げ、口許しか笑えない笑みを浮かべる。
「先輩、先輩。これ先輩と同じ香りがしますね」
「あー、まあな」
 たまにどう見ても女の子にしか見えない笑みを浮かべる余のその表情と台詞に、天然って恐いなとしみじみと感じただがしかし、自分自身も先程余にとんでもない発言をしたという自覚はない。
「先輩、明日からこれ着て登校してもいいですか?」
 何時の間にか目の前に戻ってきた余と視線が合ってしまい、彼は竜堂家次男とは色々とまったく別の意味で人間を内側から抹殺できるな、と達観する。
 間近で見ると、思った以上に破壊力は大きい。恋人としての欲目を加法とするなら、戸惑いがちの上目遣いで先輩と呼ぶ攻撃は乗法だという知識をは得た。
「別にいいけど、学校生活の場に手袋がミトン型って困らないか? 贈ったおれが言うのもアレだけど」
「そんな事ないです! 先輩の手編みだし、それに……」
「それに?」
「ええと、なんでもありません」
「ふーん? ああ、そうだ。あと余にこれ渡そうと思ってたんだ」
 勢いにまかせて何かを言ってしまいそうになった余の言葉を深くは追求しようとはせず、はラッピングされた箱を渡した。
「先輩、これは?」
「プレゼント、かな。色んな意味を含む」
「え……そ、そんな沢山いただけません!」
「遠慮するなって」
 申し訳なさそうに見上げてくる余の言葉を聞くと、恋人だろと言ってはカラカラと笑い帽子を被ったままの頭を軽く叩く。
 余に人気があるとはいえ、中学生同士が贈り合うプレゼントはまだまだ子供っぽい。現に、は勿論、余の鞄の傍に置いてある女子生徒からと思われる可愛らしい袋に入ったプレゼントからは甘い焼き菓子の香りがした。
 パステルカラーの包装紙に控えめなリボンなんて可愛いではないかとは思うが、それと比べると、確かに今、余に渡したこのプレゼントは少々趣が違う。あまり軽々しく渡してはいけなさそうな雰囲気はないでもない。とは言っても、自身がコーディネートした訳ではなく、買った店にしてもらったのだが。
「そんな大したものじゃないよ、開けてみれば判る」
「ここで開けてもいいんですか?」
「そうだな……余の反応も見たいし、出来るのなら是非そうしてくれ」
 嬉しそうにそう言う恋人に、余は一体中は何なのだろうと不思議そうな表情をして、まず手袋を外した。の言った通り、やはりミトン型は少々使い辛くはある。
 銀色のリボンを解き、深い青色の包装紙を丁寧に外していくと、そこに現れたのは小さな青い地球儀のイラストが入った青い箱だった。
 中身を取り出してみると、地球儀の形をした青いボトルの中に液体が満たされていて、そこからふわりと舞った香りで、初めてこれが一体何なのかを余は理解した。
「もしかして、香水……ですか?」
「おお、中々可愛い反応だな」
「約束覚えててくれたんですか?」
「そりゃあ、まあ……惚れた相手との約束は人生との約束みたいなものだし」
 少し照れたように頬を掻いたは、喜んでもらえて何よりだと気持ちを誤魔化すようにして笑う。
「そうだ。続先輩には見つからないようにな」
「……何で?」
「ある意味おれの命に関わる事なので言えません」
「じゃあ、始兄さんと終兄さんは?」
「二人自身は安全圏だけど、続先輩の耳に入る可能性があるので黙っていて下さい」
「続兄さんだけが駄目なんだ」
「駄目っていうか、あの人、ホストっぽい匂いがするからなあ……いや、半殺しは覚悟の上なんだけど」
 意味不明な言葉を呟き、レモンティーを飲み干すと、机に置いてあった腕時計を見た後でそろそろ帰るかと窓の外を指してが笑った。
 余も教室の時計を確認して帽子だけを毛糸のバックに戻し、他の女子から貰ったプレゼントも一緒に押し込む。けれど、から貰った香水の箱だけは大切そうに手に持ち、恋人を呆れさせた。
「そういや余。前から不思議に思ってた事、訊いてもいいか?」
「なんですか?」
「いや、この間さ、終先輩見たんだよ。でさ、おれてっきり、あの人も余と同じ感じでマフラーとか手袋とかしない人間だと思ってたんだけど、違ったんだよな」
「……先輩。なんだか雪でも降りそうな天気ですね」
「いや、そんなあからさまに話し逸らそうとするなって」
 部室の戸締りをチェックしながらそう言ったは、全て確認が終わったのか部室の鍵を持って余の元に戻ってくる。
 熱があるわけでもないのに薄暗い部屋の中で顔を赤くしている余に首を傾げ、どうしたと訊ねる前に向こうから口を開かれた。
「笑いませんか?」
「内容によるけど、努力はする」
「笑わないで下さいよ!?」
「念押しされてもこればかりは無理だと思うけど」
「じゃ、じゃあ。何で兄さんたちには先輩から香水を貰った事を言ったら駄目なのか、教えてくれるなら、言います!」
「ふむ、そう来るか……」
 必死な顔でそう言われ、余が腹を括ったのなら、と了解と返答すると、余は赤かった顔を更に赤くさせてを手招きする。
 この状況で誰が聞いている訳でもないのだが、そんな仕草をされては顔を寄せない訳にはいかない。耳打ちをするように背を伸ばしての耳元に口を近づけると、くすぐったい気持ちになった。
「……あの。ええと、欲しかったんです」
「欲しい?」
「誕生日、プレゼントに……先輩の作った編み物、欲しかったんです」
「……」
「で、でも、ぼくがマフラーとか手袋していたら、もしかしたら先輩……作ってくれないんじゃないかって思って、それで」
 完全に静止しているに余は不安そうな顔をして「先輩?」と袖を引いてみる。
 数秒を置いて、はのろのろと動き出し、長い長い溜息を吐き出しながら余の体を抱き締めた。
「ああ、もー。お前って、本っ当に可愛い奴だなあ」
「か、可愛くなんか……」
「あります。という事で、純情な余にはまだ早いと判明したその香水は返しなさい」
「え!? い、嫌です!」
「力強く即答しやがったな」
「それよりも先輩も答えてくださいよ!」
 腕の隙間からひょこりと出ている紅潮した顔が左右に振られ、両手に持っていた箱を背後に隠す。
 気丈な瞳で睨みつけてくる自分と同じ香りのする小動物は意志を曲げる気など更々ないらしく、は仕方なさそうな顔をして抱え込み肩口に顔を近づける。
「恋人に香水を贈る意味は『おれのものになって』ってコトだよ」
 囁くよりももっと小さな声で伝えられた言葉を拾った余は固まってしまい、その様子を見ていたは悪戯悪魔のような笑みを浮かべた。
「そういう事だから、香水は返して貰うな」
「……駄目です!」
 隠すように握られていた香水をまた胸の前に持ってきて奪われないように抱え込む恋人に、どうしたものかと首を傾げ、抱き締めていた腕を解く。
 すると、余は部室の入り口まで恐ろしい速さで走り、完全にの手の届かない場所で香水の箱を腕に抱いた。そういう仕草も一々可愛いとは思ったが、口に出したら今の状況の勢いでとんでもない事を言われそうなので、彼は仕方なさそうに両手を腰に当てる。
「そういう理由なら、絶っ対に返しません! 何されても嫌です!」
「イヤ基本的におれは何もしないけど、あのホストな続先輩辺りが勘付いて余の兄さん三人がおれを半分殺すどころか塵も残さずブチ殺しそうな予感がします」
「その時はぼくが守ります! には指一本触れさせません!」
 静かな廊下に響いた大告白は数秒の間の思考を停止させ、余はその間に慌てて姿を消してしまった。
 部室に一人残されたは、今までにないくらい顔を赤面させ、ようやく動かすことが出来るようになった汗ばんだ手の平を開閉させる。
「……参ったね」
 熱を持った頬に手を当てて遠くの鏡の中で真っ赤になっている自分に苦笑し、肩の力を抜くように短く息を吐いた。目の前に散乱した空き缶や編みかけの毛糸を片付け、自分と恋人の置いていってしまった鞄を両肩に担ぐ。
 他の生徒から貰ったプレゼントが意外に肩に重く圧し掛かり、嫉妬と羨望と、それを上回る優越感に浸りながら部室の明かりを消した。
「さて、香水だけ持って消えてしまった恋人の所に行きますか」
 防犯対策に慰め程度の鍵をして両腕が塞がったまま階下にある昇降口に目を向けると、上半身を自分の贈ったプレゼントまみれにして右往左往している恋人の姿がよく見える。
 からの視線に気付いたようで、下駄箱の陰に隠れてしまうどこまでも小動物な余に柔らかい笑みを浮かべながら伝わらないであろう言葉を口にした。
「本当にまったく、どうしようもないくらい可愛い奴だよ。お前は」
 一体どんな顔をして自分の前に現れるつもりなのだろうかと考え、少しでも時間をやるかという結論に至ると、ひどくゆっくりとした歩調で階段へと向かう。
 薄暗い階段を音もなく下りて行ったの後ろ姿は、やがて夕闇の中に溶けていった。