曖昧トルマリン

graytourmaline

或る午後の距離感

 紙の上を滑る青と現実の美しい色を見比べ、矢張り自分の技術では限界があると実感したはスケッチを中断し、新しい紙と共に水彩絵具を手にした。
 この光沢を人間の皮膚の上へ再現する才能は残念ながら持ち合わせていない、インクに頼るにしてもこの色を求めるのならばオーダーメイドで頼まなければならないだろう。ブラックライトタトゥーに挑戦すべきか、もっと大胆にデフォルメをして水彩風にと脳内会議が行われている最中に、モデルからうんざりしたような声がかかる。
「まァだやんのかよ。それ何枚目? もう飽き飽きしてんだけど!」
「そー言ってくれるなって、グリフォン。きちんとモデル代も払うからさ」
「言っとくけど、俺は人間の作ったインク臭い紙切れなんざ必要としてねえからな」
「じゃあ、そのインク臭い紙切れで現物買ってくるから気が向いたら教えてくれ」
 隣の事務所から遊びに来た悪魔が、暇だ暇だと叫び散らしながら白い頭の旋毛に嘴を突っ込み始めたのは3時間前。そんな悪魔の所業に対しては軽く笑って流血を受け流しつつ、時間があるのなら是非モデルになって欲しいと頼んだのが事の始まりだった。
 悪魔の血を感じ取られているのかどうかも判らないが、何故か動物に拒絶される傾向にあるにとって、悪魔ではあるが鳥でもあり、しかも意思の疎通が可能で容姿も優れてるグリフォンは素晴らしいの一言に尽きる素材であった。
「ホントにさ、グリフォンはキレーな姿してんだよ。パーツも、全体像も、何処を見ても美しくて新鮮だ。描く度に違う発見がある」
「そりゃお前の力が不足してるダケじゃねえの? 努力と画力と表現力と観察眼がよォ」
「手厳しいな。実際、そーなんだろーけど」
 客観的に見て、のタトゥーは良くも悪くもない、何処にでもある普通のタトゥーだ。顧客に有無を言わせない天才でもなければ、天才『的』と呼ばれるような実力もない。店の清潔さと手頃な価格設定、懐っこい人柄と、スラムでは珍しいアフターサービスやメンテナンス、それらを駆使して生き残っているに過ぎなかった。
「って言うかよお、何で俺なんだよ。Vに頼む所じぇねえの、そこは」
「ああ、うん。頼んだぜ。気が向いたらって返答されたから、待ってる最中」
 生体であるグリフォン程の魅力はないが、初対面で無遠慮に観察するくらいには気になっていたタトゥーだ。しかし、本人の同意なく模写するような真似はしない。そう告げるに対し、グリフォンは間違いなくその約束は忘れられていると笑った。
「その場限りのリップサービスだよ、リップサービス。頭の中が残念なアーティスト気取りちゃんは適当にあしらわれた事も判んないのかねぇ」
「それならそれで別にいいさ。VのタトゥーはVの物だ、俺の方からそう何度もしつこく頼むもんじゃねーし、描かれたくないなら尊重するぜ」
 喋りながらも絵筆を走らせていただったが、階下でベルの音が鳴った事に気付き慌てて立ち上がる。その隣で、気配に敏いグリフォンは羽繕いをしながらVとバージルが揃って何の用だと来客者の正体を教え、一足先に向かったのか肉体を塵のように変化させてその場を去った。
 そのような器用な移動など出来ない半魔のは、バージルがこちらの店舗に来ていて、且つ、自分の元にまで一直線に突撃して来ない事から、要件に関しては大体の目処を付ける。十中八九、手を洗って行った方がいいと一人呟きながら壁に掛けられた時計を見る、時刻は昼過ぎだった。
「ダージリン、セカンドフラッシュ、ブラック」
 案の定、のんびりとした足取りで階下に赴いてみれば、来客用のソファの定位置に座ったバージルから開口一番命令を受ける。テーブルの上には数種類のサンドイッチが並べられ、Vが遠慮する素振りなど欠片も見せないまま食べていた。
 グリフォンがこの場に居ないのは、自分の意思でVの元へ帰ったのか、それとも強制的に帰還させられたのか、気にはなったが尋ねるような事はせず、はキッチンに足を向けながら別の質問を投げかけた。
「ティーカップは?」
「任せる」
「じゃあ、久々にフッチェンロイターにしてみようかね」
 ネロ相手の時のようにペイントの禿げたマグカップを出そうものなら秒以下で切り捨てられる未来は目に見えていたので、いつも通り適当なブランドを選んで紅茶を淹れる。しかしそこで、ある事に気付いた。
 基本的に、はバージルの所望するティーカップをペアで購入し、使用していた。そこにダンテが加わる場合はダンテが、ネロが加わる場合はバージルが別ブランドを使用していたのだが、今回加わったのはVだ。
 恐らく、自身とバージルをペアにしてVを別ブランドというのが正しい分類なのだろう。しかしVが異世界のバージルという情報を既に知ってしまっているにとって、それが本当に正しい分類なのか判らなくなっていた。かといって、バージルとVをペアにするというのも何か違うのは理解している。
 紅茶を蒸らしている短い間に最適な答えを探したは結局、3人共別ブランドというある種の暴挙に出る事で、誰も気にしないであろう下らない問題の解決を図った。
「こんなんだからグリフォンに力不足って言われるんだろーな」
「あいつに何か言われたのか?」
 均等に紅茶を淹れている最中、隣から声を掛けられたので視線を動かすと、サンドイッチの袋を持ったVが背後を通り過ぎていった。
 彼の先にあるのはトースター。そして通りがかりに冷蔵庫からおもむろに粒マスタードの瓶も持ち出される。勝手知ったる、では全くないのだが、バージルやダンテと同じ血を引いていると納得出来てしまう自由人振りに思わず笑みが溢れた。
「いや、ただの正論言われただけ。それよりさ、Vは紅茶どうする」
「……スパイスとココナッツミルクの入ったロイヤルミルクティー」
「えー、今そんな洒落た飲み物あるのか。スパイスって胡椒とか? あ、ココナッツミルクは流石に常備してねーわ」
 冷蔵庫の監督者であるネロが作るのは男の料理、はそもそも料理が出来ない、そのような2人の生活が詰め込まれた冷蔵庫に普通のミルクならばまだしも、ココナッツミルクなど存在しない。
「冗談だ」
「Vの冗談判りづれーよ」
「タトゥーを模写させる約束は忘れていただけだ、嘘を吐いたつもりはない」
「それも冗談? まーいいや、で、紅茶どーするよ」
「俺もブラックでいい。トースターを借りるぞ」
「おー、どーぞご勝手に。紅茶先に持ってくぜ」
「ああ」
 色鮮やかなサンドイッチの元にまで紅茶を運んだの手元を見て、待ちかねていた青い瞳に疑問の色が差す。しばしの沈黙の後、割ったのかと呟いたバージルに対し、はペアは全て無事だと静かに笑って否定するに留まった。