君と半歩前へ
普段はそのような素振りを極力見せないようにしている反面、共にバスタイムを過ごすに至った状況等の素顔を観察出来る正当な理由が存在する場合は穴が開く程まじまじと見つめる事すらある。
もで、そのようなネロを拒絶しないので、結果、周囲の空気は蟻が引くレベルの甘さを醸し出す。
丁度、今この場のように。
「いやー、こっち系は選んだ事なかったから新鮮な気分だわ。チャレンジして来なかったけど、こーゆーデザインのも似合うのな、流石ネロ。センスいいぜ」
「鏡じゃなくて俺の方見ろって言ってんだろ、」
「はいよ」
「ちょっと顎引いて背筋伸ばしてみろよ。ああ、いいな」
以前の案内で連れて行かれたフレームの専門店から遂に届いたサングラスのファッションショーが始まってから、かれこれ2時間。その間に来店したのは、今も破壊の爪痕が残る隣の事務所で居候しているグリフォンのみ。遊びか暇潰しにやって来た悪魔を除けば、2人の世界を阻む者は誰一人として存在しなかった。
クローゼットから引き摺り出され、リビングのフローリングやソファに投げ散らかされた衣類をああでもない、こうでもないと悩みながら拾い上げ、次はこれ着ろと指示を出すネロを見て、の表情筋は緩む。うんざりした表情なんてものは、とうの昔に消えていた。
服なんて物はそう拘る必要もなく、相手に清潔感さえ与えられればそれでいいと思っていたような男だったが、恋は人の意識を変えるのだろう。
「もっと筋肉質なスタイルなら色々試せるんだけど、似たようなコーディネートになるな」
「ごめんなー、貧相なおっさんで」
「謝罪は要らねえから肉より服のバリエーション増やせよ。幾ら普段は仕事着で生きていけるからって、色も形も似たようなデザインのパーカーとシャツしかねえってどうなんだ」
外出用のパーカー、仕事用のシンプルなシャツ、そしてごく普通のパンツ。何処を探してもこのラインナップの中、それでもネロは最高の組み合わせを模索する為に鏡の前に立つ。当然、単純に恋人との時間を楽しみたいという純粋な下心も存在するが。
「そこは俺が選んでやる、じゃねーんだ?」
「楽しようとしてんじゃねえよ」
「ははっ、そーだな」
比較検討する時間を最初から放棄して選んで貰った服に、悩みに悩み抜いて作られたサングラスは似合わない。
この可愛らしい恋人がどれだけ真剣にデザインと向き合ったのかを知っているは謝罪を込めたキスをした後で、真っ赤になった恋人の腰に腕を回す。
「なあ、ネロ。このサングラスお披露目するの、もーちょっとだけ待って貰っていいか」
「何で」
「ネロが真正面から悩んで作ってくれた、大切な物だからさ。初めて合わせる服や靴、俺なりに考えたい」
「靴もかよ」
「靴どころか下着もだけどな」
「うるせえ、セクハラオヤジ」
密着していたのをいい事に軽く頭突きをしたネロは、耳だけを赤くして辺りに散乱した衣類を拾い始めた。当然、服の持ち主もそれに倣う。
「それでさ、今度こそ映画行こーぜ。ダンテにやられた劇場は潰れっぱなしだけど、ミニシアターや野外映画って選択肢ならあるからさ」
「……ミニシアターがいい」
「お? 意外と渋いな、ネロは爽快な大爆発系の歓声と開放感溢れる野外映画が好きそうだと勝手に思ってたわ」
「フォルトゥナに居た頃は映画自体、ほとんど見た事なかったから好みとか判んねえよ。ただ、野外って確か大人数で盛り上がりながら見るやつだろ?」
「あー。ネロには合わねーか」
「あと隣からデバガメ共が来そうだから嫌だ」
他人と一緒くたに盛り上がるつもりはないが、それ以上に父と叔父が来た瞬間、絶対にトラブルになるから行きたくない言葉にせずとも強力な思念を発したネロに対し、は否定する事なく苦笑で返した。
あの2人が揃って、何事もなく終わるはずがない。それは付き合いの短いネロですら骨身に沁みて理解しているのだから、が知らないはずがなかった。
「じゃあ、コメディか、ホラー辺りで一緒に探してみるか。サスペンスやドキュメンタリーは肌に合う合わないデカいからな。青春ドラマとか感情移入出来ねーし。どこ探してもなかったらアレだ、車レンタルしてアクション上映してるドライブインシアターにしようぜ」
「デートなのにラブストーリーは端からなしかよ。まあ、男と女が仲違いしてどうこうなんて映画に興味ないけどさ」
「おっさんもねーわ」
「だろうな」
真新しいサングラスが歪まないよう気を遣いつつ両手一杯の衣類を抱えたまま、恋愛に興味あったらもっとスマートに事を運んでいると呟くに、不器用で所帯じみたアンタも好きだぜと年若い恋人は笑いかけた。