夜咲きシクラメン
「ネロ以外にか? 俺が知る限り居ねーけど、急にどうした」
「銀髪碧眼の知らねえ男がアンタと酒飲んでる」
唐突に投げかけられたネロからの疑問に答えつつも質問を返したは、淹れたばかりのミルクティーに満たされたマグカップと市販のバタークッキーをテーブルに置き、恐らく疑問の根源となったであろう古いアルバムを覗き込んだ。若い頃のバージルを見せる為に渡した物だが、ネロは父親への興味は薄いようですぐに別の者、即ち恋人であるへと好奇心を移したようである。
物事に頓着しないだったが意外な事にカメラの趣味がある、訳ではなく、周囲の人間が撮った物を押し付けられたので仕方なくファイリングした結果として出来上がったアルバムだった。それでも、隣の半魔達のように受け取った瞬間から屑籠直行か、その辺の床に放置され埃と靴跡塗れになるよりはマシだろうと本人は思っている。
尤も、飾られたら飾られたで、貼り付け先がダーツボードであったり、剰え双子のどちらかの両目と両鼻孔にダーツが刺さっていた事で血で血を洗うリアルファイトが開始されたりするので、どちらがよりマシなのかという考えには至ってしまうのだが。
紙質こそ古いものの頻繁に見ていない所為もありほとんど色褪せていない写真には、若かりし頃の彼自身と親友の双子が、ならず者達が溢れるバーで酒を嗜んでいる瞬間が切り取られていた。の外見はほぼ変化していないが右下に印字された日付を見ると、10年程前に撮影された写真だと判別出来る。
誰も警戒していないのでレディかトリッシュが撮ったのだろうか、一体何時の間に撮られたのだろうか、そもそも出不精の自分が外に出てまで酒を飲んでいる経緯からして思い出せない、そんな疑問がの脳内を駆け巡ったが、それよりも、ネロが指す銀髪碧眼の見知らぬ男が見当たらないと、赤ペンを持った脳味噌が書き殴るように何十にも丸を付けて最優先と叫んだ。
「ネロの言う男って誰だ? この左端の、半分ハゲた白髪のじーさんか?」
「違えよ、アンタと酒飲んでるって聞いてなかったのか。ダンテに似たこの赤コートの男だよ、ライムが入った透明の酒飲んでる男」
「うん?」
ネロの鋭い右人差し指が示した男は、似るも何も紛うことなくダンテだった。一度サングラスを取り外し、目を擦り、もう一度見直しても、矢張り若かりし頃のダンテだった。
俺の可愛い坊やは一体何を言っているのだと顔に出す前に、彼の言わんとする事が理解出来た。知っている身からすればそんな時期もあった程度の事だが、最近ダンテに出会ったばかりのネロにしてみれば想像の範囲外に位置する未知の領域なのだろう。
「それ、ダンテだぞ」
「は?」
「お前の叔父さんだ」
「はあ!?」
そんなはずはない、何かの間違いだと表情で強く語るネロに、は殊更ゆっくりと、しかも大袈裟に首を横に振り、もう一度同じ言葉を口にした。
「信じ難いかもしれないが、俺の隣に座る男は、ダンテだ」
「……なあ、。その冗談は笑えない」
「冗談じゃないから笑わなくてもいいぜ。てか、ほらココ見てみろよ、ダンテの愛銃が写ってるじゃねーか」
ハンドガンと呼ぶには余りにも規格外のオートマチックは、確かにダンテの所持するエボニーとアイボリーだった。この世に一対しか存在しないと言い切れる銃の姿を指摘され、しかしそれでも、写真の男は現在のダンテとは余りにも違いが多過ぎた。
眼光は鋭く貫禄があるが威圧的ではない端正な容姿に、写真からでも判る洗練された雰囲気と落ち着いた物腰、大人の魅力を存分に引き出した色気。現在のダンテとの共通点はデザインは違うものの赤いロングコート、スカイブルーの瞳とシルバーブロンド、そして優良物件の容姿程度だ。
無精髭以前に無精さそのものが見当たらない、寡黙そうな大人を3度見してから、今にも青白い魔人を出現させそうな勢いでネロが叫ぶ。
「嘘だ! 絶対信じないからな! ダンテは借金塗れの超が付くドクズ野郎でだらしねえ髭面のズボラ親父で仕事も家事もしねえ癖にいっつもエロ本広げてニヤニヤ笑うだけの犬のクソに集る不潔なハエ野郎だ!」
「うーん、ネロ。それはダンテに言ってやるなよ、ハエ野郎とか流石にあいつでも泣くわ」
「この程度で傷付く良心がダンテにあると思ってんのか!」
Fワードこそ出なかったものの散々な言われようだが、根が純真で良い子のネロに罵詈雑言を吐かせる態度ばかりを常日頃から見せているダンテが悪いとも結論付け、血色が良くなった恋人にひとまず落ち着けとミルクティーを差し出す。
自分自身もマグカップに口を付け、何時もの締まりのない笑顔でしばらく恋人の青い瞳を眺めていると、やがてネロも興奮状態から冷め、全く納得はしていないと表情で語っているものの落ち着きは取り戻した。
次いで、先程、絶対に信じないと言ったばかりだが、百歩譲って本人だと認めようと眼光のみで前置きする。器用なものである。
「何があった」
この寡黙で実直そうな男から、あの飄々とした駄目男になる経緯を尋ねられ、はどうするべきかと数秒沈黙する。
ダンテの心情の変化や遍歴に関して、彼は本人からあれこれ理由を聞いた事がないし、当人から語られた事もない。あの親友は皮肉を言ったり軽口を叩く事は多いが度を超したお喋りではなく、特に自身の事については蠱惑的な美女に催促されてもはぐらかし、必要以上の過去や心情は語りたがらない。そこそこ長い付き合いから、恐らくこうだろうと推測程度ならば出来るが、それが真実とは限らないのだ。
「詳しくは知らねーから多分こーだろーな、って想像になるけど」
「この際だ。納得出来るなら嘘でもいい」
真偽などどうでもいいと告げるネロの表情はどこまでも真剣そのものだった。それ程までに、写真の男がダンテである現実を受け止めきれないらしい。
若いなあと、眩しい物を見たかのように、サングラス越しの赤い目が細められる。人が変わる事を知ってはいるけれど知識の上でしか理解していない未熟さが、の目にはこれ以上なく美しく映った。
「ダンテってさ、強いだろ。ちょっとやそっとってレベルじゃなく、格がさ。だから飽きてたんじゃねーかな、バージルくらいしか対等に喧嘩出来る相手がいない日常に。現に、その写真撮った後に2人して依頼先で悪魔追っかけて消息不明になったんだよ。数年くらい」
「いや、親友自称するならそこは心配しろよ。年単位って」
実父と叔父も大概だが恋人も別方面で大概な性格をしていると青い目が語るも、赤い目の男は気にするでもなく、話を続ける。
「後で聞いた話だと、魔界の門が開いたとかで魔王だったか覇王だったかブチ殺す為に飛び込んだとか言ってたな。要は2人共、悪魔狩り放題のボーナスステージに突入した訳だ」
「なあ、。恋人じゃなく1人の人間として、もう一度言うぞ。普通そこは心配とか絶望する所だろうが、親友として」
「そりゃ当時は心配はしたぜ。でも、あとはその内帰って来るだろうって信じるくらいしか手段がない。おっさんは半魔だけど、無力だからな」
祈って、呪って、涙と声を枯らして、喉が裂けて血反吐を撒き散らすまで慟哭すれば2人が無事帰って来るならこの肉体が保つ限りそうすると、重い友情を軽い口調で誤魔化す。
でも結局あの2人は、久々に出会えた大物倒したテンションのまま戯れ合うように殺し合い、互いの相手に飽きたら屠った雑魚悪魔の数を競い合い、強そうな悪魔を見付けたら我先に自分の獲物だと争奪戦を開始し、魔界の中で散々タチの悪い通り魔のような事をしでかした挙げ句に、最後は代わり映えしない面子に飽きた腹が減ったシャワーを浴びたいと勝手な事を抜かしながら帰って来やがったとは言う。
実際はもう少々複雑な経緯を辿っているのだが大方そのようなものであったし、ダンテのテンションが若かりし頃へと回帰したのも悪魔の入れ食い状態でフラストレーションが解消された辺りが原因だろうと続けた。
思い返してみると、ネロが来る前までは、魔界帰り以降強敵が現れなくなった為にダンテの内に燻る少年心は抑えられがちだったのだ。もう数年も暇を持て余せばこの写真の男の再来となるくらいには。
「ネロの故郷の事件ではさ、骨のある上級悪魔も出たんだろ。あとはまあ、血縁者発覚も相俟ってじゃね? ダンテは暑苦しい熱血漢とは言えねーし、普段あんな感じでのらりくらりしてるけど、なんだかんだ言って情の強い家族大好き男だからさ」
ま、全部俺の想像だけどな、とあらかじめ言及しておいた前置きを最後にもう一度付け加え、は締め括った。年若い恋人はというと、下唇を突き出すようにして不満を訴えていたが、やがてそれを態度で示すかのように大袈裟な仕草で視線を逸らす。
10代の少年の、非常に微笑ましい拗ね方だと僅かにでも表情に出そうものなら頭蓋骨ごと右手で粉砕されそうだったので、その辺りの心情は丁寧に畳んでから心の棚に一時預かりさせ、穏やかな口調で何がいけなかったのかと問い掛ける。はエスパーではないのだ、幾ら態度で示されても口で説明されなければネロの心情を理解出来なかった。
1枚、2枚、3枚と続けざまにクッキーを頬張ったネロは、お前が悪いと言いたげな視線を向け、ミルクティーで口の中を洗い流してから言葉を放つ。
「俺が仕事に行ったっきり何年も帰らなかったら、はどうする?」
「隣の双子に金積んで見付け出す」
そのような事に陥った場合、バージルもダンテも金など必要ないと突っ撥ねるだろうが、世の中に経費という項目がある理由と、自身の能力の上限を熟知しているは考えられる限りの正答を即座に口にした。その答えを、ネロは鼻で笑う。
「待つって選択肢は、ない訳だ」
「待つさ、ここでずっと。やれるだけの事は全部やって」
そこまで言って、ネロが何故拗ねているのかようやく理解したが申し訳なさそうな表情で笑う。
「ネロの事も十分信用してるぜ。あの2人が行方眩ませた時、隣にネロが居たら一緒に探してくれって頼んでただろうな。でもあの時は、魔界にまで2人を探しに行けるような実力を持った奴は何処にも居やしなかった。トリッシュにも無理だって断られた。さっきも言ったけどさ、無力な俺に出来る事なんてない。だから、この店で待った」
「……そっか」
「そーだよ」
一呼吸置いてからネロに触れた手が拒絶される事はなかった。
正解か、と安堵していると、陽の光を集めたような銀の髪が肩に触れる。上目遣いをする青い目とサングラスに覆われた赤い目がかち合い、暫しの沈黙の後で、待ってろよと呟くような言葉が漏れた。
「俺も絶対に帰って来るから。たとえ何があっても」
「何年でも何十年でも、待ってやるよ」
縁起でもない事に対する宣言ではあったけれど、それが嘘や冗談では済まされない職業と実力と判っていたからこそ、2人は互いの額を寄せるようにして顔を近付け、キスすらしないまま擽ったそうに笑いあう。
アルバムに挟まれた写真達は眉一つ動かさず、切り取られた時間の外で過ごす2人をただ無言で見上げていた。