曖昧トルマリン

graytourmaline

雨音の向こうに夕暮れ

 大量のカタログを手に、アレでもない、コレも違うと唸るネロを観察し初めて、もう1週間だろうか。本日も何時も通り書類仕事を片付けたは、ソファの上で険しい表情のまま動かない恋人を眺めて思案した後、隣の双子に電話を掛け、黒い雲に覆われた空を見上げてから表の看板を裏返した。
 バージルに支払った授業料こと、粉砕されたお気に入りのサングラスに代わる物を探し始めて早半月。予算もデザインもご自由にと丸投げされたネロは、その信頼に応えるため近隣の店を探し回り、方方から取り寄せた分厚いカタログに目を通し、おおよそ国内で手に入りそうなサングラスに目を通しても尚、納得行く物を見付けられていなかった。
 にしてみれば、適当な所で妥協すればいいものを、と思うが決して口にはしない。この健気な恋人は、親子程歳の違う男に、何時だって真剣に向き合ってくれるのだ。若く、青く、甘酸っぱいそれを揶揄するような真似をしたくはなかった。
「なー、ネロ。今日はもう店じまいしたからさ、今からちょっとだけ、外に出たいから付き合ってくれねーかな」
「はあ? 別にいいけど。つーか、まだ夕方なのに外出て大丈夫か」
「雨降ってるし行ける行ける、心配してくれてありがとな。相合い傘するか?」
「男2人が余裕で入れる傘なんて持ってんのかよ。俺は濡れたくないし、アンタを濡らしたくもない」
 以前ならば顔を真っ赤にして反論していただろう言葉にも徐々に慣れて来たようで、ネロは男前な切り返しを行うようになっていた。格好いいなあとが呟けば、傘を投げながら皮肉げな笑みを向けられる。そういう所で得意げになっているのは可愛いな、とは口には出さなかった。
「で、何処行くんだ」
「大通りまで出て南に2ブロック。ちょっと見付け難いから案内するわ、武器は持って行ってもいいぞ。寧ろ、持って行った方がいいかもしれねーな」
「じゃなくてさ、何しに行くんだって質問なんだけど。物騒な所でも俺は構わないけど、アンタが心配だ」
「あー……買い物? だから、大丈夫だろ」
「何で疑問系なんだよ。矢っ張り危険なんじゃ」
「いや、命の危険は全然ねーから」
 念の為にフードを被り、青空色の傘を差して歩き始めたの隣を、普段よりもゆっくりとした歩調のネロが並ぶ。
 柔らかい銀色の猫毛が湿気で膨らみ、くるくると外に跳ね出す様子をサングラス越しに見つめながら足を動かし、他愛のない会話を繰り広げる。話の内容は、矢張りダンテと、最近鳴りを潜めていたはずの過保護が再発し始めたバージルが主題になった。
 途中、何人か知り合いと擦れ違った時にはこの仲睦まじさを見て驚くに決まっている踏んでいただが、予想に反し全員が全員、何時ものあの、そろそろ別れる頃だろうと言いたげな何とも言えない生暖かい表情を浮かべて挨拶を返される事になった。
 こんなに愛し合っているのに何故なのかと内心で首を傾げたが、大通りにまで出た後で、恋人であるネロの表情が不機嫌そのものだからだと気付く。
 会話の内容を知らない者から見れば、ネロは恋人に対して苛立っているようにも見えるに違いない。そして、ネロは気付かないし、も態々引き返して説明するような半魔ではなかった。
「俺だってガキじゃないから、心配するなって頭ごなしに怒鳴ったりはしないけどさ、何でもかんでも保護者同伴なのは嫌なんだよ。いや、効率的な雑魚の倒し方とか、バージルの説明や言い分は正しいけどさ、依頼人が俺を半人前だって馬鹿にして依頼料減らすぞとか寝言抜かすような事が増えたんだよ。その度に脅迫、じゃなくて交渉し直すって手間も時間も掛かって面倒だろ」
「あー、そりゃ面倒だ。おっさんが手伝ってやろうか」
に何が出来るんだよ」
「うーん、応援とか」
「何だよそれ、チアガールの衣装でも着てくれるのか」
「俺の矜持は横に置いといて、おっさんの女装は視覚への暴力と違うかな?」
 怠慢からの栄養失調を気付けば患っている自分に、露出の激しい衣装は目に毒だと茶化すように訴える。
 その表情の裏で、例のボスはネロの怖いもの知らずながらも真面目な仕事振りを気に入っていたから、そちら方面から勘違いしている馬鹿に圧力掛けて貰おうかと、後ろ暗い連中が溜まっている社会に顔が利く顧客の顔を何人か脳裏にリストアップしたの心情など知る術のないネロは、別に女装して欲しい訳じゃないから応援は期待しないでおくと返答しながら、困った恋人だと言いたげな笑みを浮かべていた。
 チアガールは兎も角、おっさんは冗談や酔狂だけでスラムのおっさんをやってる訳じゃないんだけど、と脳内で組み立てた言葉を口にする前に、目的の店に辿り着いた。大通りから1本裏道に入ったビルの地下へ続く階段の先にある、オレンジ色の電灯と鮮やかな赤い扉が目を引く。
 少し低い、エキゾチックな音を奏でるドアベルを聞きながら店に入ると、然程広くない店内にはモダンミュージックがかけられ、ショーケースの中のアンティークジュエリーがほんの僅かに気取った形で陳列されていた。内装から調度品、勿論傘立ても、店の雰囲気によく合ったアンティーク物だとネロにはすぐに判ったようだ。
「へえ、感じのいい店だな」
「ヴィンテージフレームを取り扱ってる店なんだ。ただ、店主が頑固者の宣伝嫌いでね、広告は出さねーし、基本一見さんお断りなんだよ」
も宣伝してないだろ」
「おっさんはその辺、嫌いなんじゃなくて無精なだけだから」
「いらっしゃいませ……なんだ、と、そっちが噂の新しい恋人か」
「そ。ネロって言うんだ、宜しくしてやってくれな」
 ベルの音で呼び出され奥から顔を出した初老の男性は、背筋を真っすぐに伸ばしたままネロを見据えて丁寧に挨拶をし、すぐにへ顔ごと視線を戻した。
「今度は若い男か、相変わらず見境のない男だな。それで、今日は一体何をしに来たんだ。まさか恋人自慢をしに来た訳じゃないだろう、彼のフレームが入り用か、この間手に入れたデッドストックの中に似合いそうな物が幾つかあるが」
「それも気になるけど、今日は新しいサングラス作りたくてさ。オーダーメイドの」
「お前の顔は顧客の中でも並外れて整っているが、デザインの感性が合わん。断る」
「じゃなくてさ、ネロに頼もうかと思って」
「俺かよ!?」
 何の相談もなしにいきなり話題に出されたネロが驚き叫ぶが、2週間悩んだなら少しくらいはアプローチ方法を変えてもいい頃だろうとに言われ、大人しくなる。
 恋人の言葉に納得したのが2割、自分がデザインしたサングラスを日常的に恋人が身に付ける未来を描いた微笑ましい独占欲が8割だが、彼の内心もまた、が知る術はない。
「……彼の趣味によるな」
 ネロの格好を上から下まで観察した店主は、取り敢えずの合格点を出したらしい。それを確信していたはというと、手に取らせる必要はないからブルーローズを見せてやってくれないかとネロに頼む。
 商売道具を安易に他人に触れさせない拘りは、今この空間内に居る全員の共通事項なのか誰からも文句は出なかった。恋人が何故武器の所持を求めたのかようやく理解したネロは、誇らしさを滲み出しながらブルーローズから弾薬を抜き、エングレーブを店主に見せる。
「成程、青薔薇に蔦、抑え切れない自己主張の激しさがこれでもかと訴え掛けて来る良いデザインだ。技術そのものも中々どうして……いや、語るのは後でも出来るな、それでこの銃は、君が手掛けたんだな」
「ああ、まあ。そんな感じだ」
「私は銃には詳しくないが、その若さでこれだけのエングレービングを可能に出来た努力をまずは称賛したい」
「別に、努力なんてしてない。ただちょっと、人より器用なだけで」
「では、そういう事にしておこう」
「しておこうとかじゃなくて」
「ネロ。ここは素直に褒められようぜ、俺なんて一度も褒められた事ねーもん」
 他人から手放しで褒められ慣れないネロに対してが冗談交じりに気持ちを肯定しろと話しかける。それを店主が引き継いだ。
「お前は世渡りが上手いだけだ。技術は並で、生み出された独創的なタトゥーからは魅力が感じ取れない、そして魅力を感じられるタトゥーには独創性がない」
「辛口なご意見をどーも。何だっけか、何処かで似たような言葉を聞いたよーな」
「ネロと言ったな。時間はあるか、早速打ち合わせに入りたいのだが」
「俺は大丈夫だけど、は?」
「俺のサングラスをネロが考えてくれるんだから、勝手に帰ったりしねーよ。バージルにも一緒に外出して何なら家に泊まるって連絡済み。でも、そっちに同席はどーだろ、口出ししなければいい感じか?」
「アウトラインが決まるまで大人しくしていろ。暇だからといって寝るなよ」
「努力するわ」
「どうしても眠りたいのなら顔が見えるようにサングラスを外せ。ただし、間抜けな面は見せるな」
「はいよ」
 デザインに対する感性の違いからこうなる事は判り切っていたので、大人しく従う。そうでなくても文句を言わない男がという男なので、誰も何も言わない。
 手近な椅子に深く腰掛け、こうなる事を予想出来ていた故にあらかじめ準備して持って来ていた古いペーパーバックを開いたをネロは関心した目で、店主は冷めた目で見て、打ち合わせを始めた。
 赤い瞳で時計の文字盤を読み取り、既に白熱し始めている2人の様子から、帰宅は深夜近くになるだろうと大雑把な見通しを立てる。育ち盛りで食べ盛りのネロの為にその辺のワゴンでホットドッグでも買って来ればよかったとページで顔を隠しつつ後悔するが、店に相応しくない匂いだと本題に入る前に叩き出される可能性もあったと、理性が存在していたかもしれない未来を読み、警告した。
 確か、家には賞味期限が怪しいスパゲッティならあったはずだと、食事に関しては機能が軒並み低下する脳味噌から記憶を掘り返す。後は、最近ネロが調味料類を充実させているから夕食か夜食か判らない食事は何とか摂れるだろうとアタリを付け、残りは全て宙高くに放り投げた。
 雨脚が強まって来た外の様子を眺め、他人の店ながらも居心地がいい空間の中で恋人の声と音楽に耳を傾けながら、は草臥れたページを捲りゆっくりと時間が過ぎて行くのを黙って待つ事にした。