ささやかな革命の日々
出迎えてくれたのはそんな浮かれた中年の心を斬り刻みそうな威圧感を含んだ青い視線。それだけで並の悪魔ならば看板通り泣き出すだろうが、は半分は人間な上に、付き合いが長いので彼の事はそれなりに知っている。
バージルは怒っているのではなく、これがデフォルトなだけだ。
数ヶ月前、悪魔絡みの仕事を勝手にネロへ仲介した事が発覚した時にマジ切れされて、この世界の果てとあの世の底を見たので、容易に比較出来たともいえるが。キレたバージルは判り易く殺気を飛ばして自らの怒りの主張などせず、気配を気取らせないまま剣を抜き相手を角切りにする。
「何の用だ、」
訂正。あの時の怒りは未だ収まっていないようだ。
少々意外ではあるが、通常、バージルはダンテと同様にの事を愛称のと呼ぶ。なので、ファミリーネームでの呼称は、今は機嫌が悪いから空気を読んで距離を取れという合図でもある。
だが、これで怯むようではこの男と親友などやってられない。
「ネロに会いに来たんだけどさ、居るか?」
「居る。が、貴様に会わせるとでも?」
バージルは双子の弟のように不必要な会話を好まない、下らない嘘も吐かない。しかし、真実を告げる言葉は優しさとイコールでは結ばれていない。
俺の屍を越えて行けとでも言いたいのだろうか。半魔である以外は何処を切り取っても一般人で悪魔狩りになど絶対に参加出来ないには無理な話である。
バージルも当然その事を知っているはずなのだが、おもむろにガントレット型の超高火力魔具を装備して立ち上がり、周囲に黒い霧を湧き起こしながら紫電を散らしているように見えた。人間形態なのに。
「害虫は潰さねばな」
「ははっ、ダチから虫扱いかよ。ひでー降格」
「生物であるだけ有り難いと思え」
バージル特有の低い掛け声の後に手足が振られた筈なのだが、の視力や諸々の感覚では何が起こったのか全く判らなかった。
棒立ちしていた体は気付けば床に転がっていて、右胸に大きな風穴が空いたからなのか、呼吸しようとする度に血が口腔内まで逆流し唇と鼻から溢れ出る。腹に収まった内臓も潰されて痛い、こちらは蹴られたダメージからだろう。半魔でなければ即死するような傷だが、上半身が消し飛んでいないのでバージルなりに手加減してくれたのだろうと激痛を堪えつつ笑った。
双子と違い戦闘はからきしだが、それでも一応は悪魔の血が流れているの肉体は常人ならば致命傷となる内臓損傷の修復を開始する。同時に、そちらにリソースを割き始めた事で紫外線に晒された体表が水疱を発生させながら爛れ、視力も急速に落ち始めた。
傷を負った内臓が完治すれば元に戻る経験則から大人しく背中で床の冷たさを感じていると、この店に来た目的の青年の色をした人影が2階から降りて来る姿を捉える。騒音が気になって部屋から出て来たに違いない。
気怠そうな表情でダンテが帰って来たのかと口にしたネロが、拳から血液を滴らせるバージル、次に、全身水ぶくれと血塗れの状態で転がるを捉えた瞬間、身に纏う周囲の空間を青白く染めた。
「に何してんだよ!」
「先日の贖罪をさせたまでだ」
「ああ゛!? 何様のつもりだ!」
怒声と銃声と金属音が鳴り響き、やけに巨大化した青白く光る腕がそう広くもない事務所の中で荒れ狂う。
そっかーそれがネロの能力かーと乱闘の原因となった男は呑気に大の字になり、回復に努めた。心臓や重要な血管は無傷のようだが、肋骨を何本かと肺と横隔膜を傷付けられた所為で上手く喋れない。喋れないから、安全圏から止める事も出来ない。
声は出ないが両脚が無事ならば身を挺して割って入る事だって出来るじゃないか? そんなのは御免だった。折角バージルが絶妙な手加減をして、短時間の再生で元に戻る程度の損傷に収めてくれたというのに。
自然治癒で元に戻るので毎度破壊される自分のスタジオ被害に比べてば可愛いものだと内心で呟き、ぼんやりと天井を眺めている間に体の傷が塞がり始めた。
手足の痺れも取れたので緩慢な動作で体を動かして、壁際まで後退しながら2人の戦闘を眺める。素人目に見ても若者らしい豪快さで荒削りな力技に頼るネロに対し、バージルの動きには隙も無駄もなく、また遣り合う気もないようで回避に徹していた。
胸を押さえ、気管に入った血を咳と共に吐き出しつつ、一方的に攻め、一方的に守る2人の会話を耳に入れて状況を把握。成る程、悪いのは己だとは深く頷いた。
「ネロ、落ち着けよ。俺は無事だから」
やっと胸の傷が塞がり肌と視力が戻ったので声を出すと、暴風や悪魔の一団が通過した方がまだ大人しいと表現して差し支えない室内で、重い木製の事務机を振り上げていたネロの動きが止まる。
の生存を確認して浮かび上がった嗚咽を堪えるような表情に庇護欲を掻き立てられるが、その辺に放り出された机から生じた轟音は可愛げの欠片もなかった。
涙を浮かべて駆け寄って来てくれる姿に思わず貰い泣きしそうになるが、勢いでベアハッグの流れに入ったので慌ててタップアウトする。ネロはプロレス好きだから意味は理解出来ているはずなのに、感極まっている所為で聞き入れてくれないようだった。
腕を組んで観察しているバージルに助けを求めたが、当然の如く、自力で何とかしろと鼻で笑われた。
「ネロ。な、ネーロ。おっさん、このままだと死ぬから」
声を出す為に息を吐く、すると、吐いた分だけネロの腕が胴体を締め、肋骨がそろそろ限界だと静かな悲鳴を上げ始める。鍛え抜かれていない筋肉がストライキを起こしているのに対して、肋骨が逝くのなら自分もお供しますと背骨が妙に律儀で迷惑な忠義を示した妄想が見え、視界が徐々に赤くなった。
幻覚系やダウナー系ドラッグから抜け出せない奴は酸欠になってみればいいんじゃないかなと、か細い呼吸で意識を繋いでいたは、自分の貧相な肉体の何処にこんな根性があるのかと驚きつつも、ありったけの力を振り絞りネロの頭を撫でる。慈母のように浮かべなければならない笑みは、流石に引き攣っていた。そこまで丈夫ではないし、サービス精神旺盛でもない。
「ネロ、大丈夫。だいじょーぶだ」
脂汗の滲む額から雫が溢れると、やっとネロはを解放する。正常に供給された酸素を取り込む為に深呼吸して咳き込みたいのを耐え、ゆっくりと呼吸しながら夕暮れ色から蒼穹の色に戻った瞳を真っすぐ見つめた。
「ごめんな、驚かせて。今のはアレだ、バージルなりの愛の鞭ってヤツだ。ネロもダンテにぶち込むだろ、それと同じな。目溢しできねーおイタした俺が、叱られただけだ」
「アンタは何もしてない」
「前に28番通りの事務所のボス、紹介してやっただろ。あの日の事を忘れたなんて言ってくれるなよ? 俺の愛しいスイート・パイ」
「茶化すんじゃねえよ、それからも仕事を受けたのは俺の判断だ」
過保護なバージルを足止めして悪魔絡みの仕事を紹介した後も、ネロはの仲介なしでダンテやバージルに黙って度々仕事を請け負っていた。片手間で処理出来る雑魚ばかりだったので油断していた所、先日、突如出現した上級悪魔に脚を貫かれ怪我を負ってしまったらしい。
ただの物理攻撃だったので服の穴以外はすぐに回復したが、呪いや毒が込められていたら大事になっていたかもしれない。でも結局大事には至らなかったから特に割増もなく謝礼は正規の値段で受け取った。ネロとバージルが戦闘中に交わした会話を纏めると、凡そこんな所だった。
これはバージルが怒りを覚え、礼儀正しく正々堂々と正面からの体に風穴を開けても文句は言えない。
「俺が勝手にヘマしたんだ。は悪くない」
「いや、こいつは俺に非があるわ。こんな事になってごめんな、ネロ。すまなかったな、バージル」
「物分りが良くて結構な事だ。次はないと思え」
「オーライ、警告出してくれた上に胸部貫通と蹴り1発で許してくれるような心の広い親友で助かったよ。全く、優しさに涙が出て来るね」
「何でまでそう言うんだよ!」
俺だからだよとも言えずはバージルを見上げるが、表情から読み取るとその辺りの説明は省いたらしい。自分が告げるよりもから言われた方が納得して貰えるからと判断したのだろう。
要点だけでも先に言えば事務所はここまで荒れなかったのにとも思ったが、此処は彼等の城なので余計なお節介だろうと腹の底に鎮める。
「な、ネロ。怪我だけの話じゃねーんだよ。俺が紹介してから後は、Devil May Cryとしてじゃなく、仲介者なしのネロ個人で請け負った仕事だろ? 条件詰めて契約はちゃんと交わしたか? 互いの直筆サイン入りの書類は? 付け込まれて騙されてねーか? 相場は本当にそれで正しいか? 受け取った金は誰がどう管理する?」
ネロ自身の安否、悪魔の生死と同じくらいはっきりさせなければならない事務系の仕事に関して問題が起こるのだと知ったのだろう。がよく店の伝票や書類整理を行っている姿を知っているネロは何か言いたそうに口を開き、しかし何も語らず、最終的に恋人の首筋に顔を埋めるようにして黙ってしまった。
「……ごめん、」
「いーんだよ。謝るな謝るな、言っただろ? 悪いのは最初に説明しなかった俺だ。だからほら、バージルにもな?」
バージルは自分の為に怒っていたのだと説明され、ネロは背後を振り返り、居心地悪そうに視線を逸しながら、蚊の鳴くような声で二言、悪かった、ありがとうと呟いた。
恋人に対するそれよりも謝罪と感謝の方法が雑だが、ちゃんと理解して反省しているからこれ以上ネロは責めるなとサングラスを失った赤い瞳が弁明し、青い瞳は言われずとも判っていると鷹揚な視線を返す。
「次からは気を付けろ」
ネロに対してのみ、あまりにも広い懐を晒すバージルには苦笑し、また、同意と納得を示す。
周囲の大人が彼に甘くなってしまうのは仕方がない、ネロは自分の間違いを認める事が出来る大変素直な青年なのだ。どれだけ口や態度を悪く装っても、生まれ持ち育まれた真っすぐな心の持ち方までは偽れない。
眩しい恋人に目を細め、は壁伝いにゆっくりと立ち上がろうとする。
「さてと、だ。じゃ、問題起こした責任取って片付けるとするか」
「おっさん怪我治ったばっかりだろ、休んでろよ。これやったの俺だし」
「いや、親友とはいえ他人の城を破壊した原因だぜ?」
「馬っ鹿じゃねえの? 毎回城を破壊されて請求書踏み倒されてる側のアンタが言っても説得力なんかねえよ、サングラス見付けてやるからシャワー浴びて着替えて来いよ」
先程見た半透明の巨大な右腕が手慣れた様子で瓦礫を処分しながら、空いた左手でバージルの隣まで追い払われる。せめて撒き散らした血痕の処理だけでもと食い下がったが、くどい邪魔だと一蹴された。
どうしたものかと考えたが、考えるだけ無駄だと悟り諦める。若く鮮やかな活力に満ちた押しの強いネロに、仕事と親友と恋人だけが生き甲斐でのらりくらりとしながら消極的に生きているが敵うはずがないのだ。
尻に敷かれているようで何よりだと隣で喉を鳴らして笑うバージルに、流されるままぼんやりと生きている自分にはそれくらい強引で積極的な子の方が相性がいいのだと惚気けてやると露骨に驚いた顔をされる。
「変わったな、」
「愛してるからな」
何が正しい事なのかは模索中だけれど、あれだけ健気なネロを放置して自分だけ今まで通り好き勝手振る舞うとか流石に無精を極めつつある俺でもないわとが笑い、緩んだ赤い瞳に忙しなく掃除する恋人の姿を映す。
視線の先では、外見だけは天使もかくやと思われる青年が表情を思い切り歪め、瓦礫の中から手の平サイズの黒い塊を拾い上げていた。サングラスは持ち主程に丈夫ではなかったようだが、こればかりは仕方がないとネロから視線を投げかけられたは厚みが全くない肩を軽く竦めた。
「授業料だと思っておくさ」
先日開催されたバージルからの鉄拳制裁最中に破壊されたサングラスと違い、今回壊れたサングラスはお気に入りの物だったが、こんな時の為に同ブランドのスペアは複数個所持している。しかし、それではネロの罪悪感が拭われないと気付いたようで、口にする前に方向性を変える事にした。
「今度さ、一緒に出かけよーぜ。新しいサングラス、ネロが選んでくれよ」
「俺とのセンス、違うけどいいのか?」
「逆だ、逆。違うから新鮮でいいんじゃねーか」
「気に入らなくても文句言うなよ」
「言う訳ねーだろ。俺から誘ってんだから」
右腕が淡く発光し、照れ隠しに投げられたサングラスを受け取る。よく見ると耳が紅潮していたが、それを指摘するような半魔はこの場には居なかった。
サングラスを見付けてやったのだから着替えに帰れと誤魔化し、箒を取りに行くネロの背中を見送る。
ではお言葉に甘えて一度店に戻ろうかと姿勢を変えたの隣で、バージルが呼び止めるように大きな溜息を吐き、そして謝罪の言葉を口にした。今の話の何処に彼が関わって来るのか理解出来ずが首を傾げ、浮かんだ疑問を素直に口にする。
「何に対する謝罪なのか判らねーよ」
「あれの、半分は八つ当たりだ」
その言葉と共に投げられた青いコートが宙を舞い、ソファの背凭れに着地した。よくよく観察してみると急所と呼ぶべき箇所が解れ、血が滲んでいる。几帳面なバージルがそのような傷や汚れを一晩以上放置する訳がない。ならば、あれらが付けられたのは先程のネロとの戦闘であると考えていい。
「激情に駆られても、これだけの実力を発揮出来ている。ネロの力を認め、意地など張らず仕事に同行させていれば、今回のような事にはならなかっただろう」
「あー。はいはい成程、そーゆー事ね。じゃあさ、ネロに直接言ってやれよ、これからは仕事に連れて行ってやるってさ」
「……そうだな。俺も、変わるべきだ」
お前ですら変われたのにという正論だが余計な一言は無視して、感情は薄いが心底穏やかに笑うバージルの背中を押し、は今度こそ店の出口へと向かう。
箒を手に戻ったネロと、少し緊張気味のバージルの雰囲気を背中で感じながら、音を立てないよう静かに扉を閉めた。流石に波乱はないだろうが、バージルの性格からしてきっと話を切り出すまでに時間がかかるだろう。
変わるという事は、覚悟を決めるという事でもある。年齢を重ねると共に難しくなって行くそれに踏み切ったバージルにエールを送り、堅物で意地っ張りなバージルすらも変えたネロを祝福しながら、は弛緩した表情のまま黙って己の城へと帰って行った。