どいつもこいつも単純な事で
自分で淹れるという選択肢はないのかと一度ならず尋ねたが、尋ねながらも事務机から離れキッチンに向かってしまっている自分を嘲笑してやる。
来客用のソファに座っているバージルにゴールデンルールで淹れた紅茶を出せば、満足そうな表情をされた。曰く、事務所ではこういった「まとも」な紅茶が飲めないという。何となく納得は行くが。
「……そう言えば、ネロと付き合い始めたらしいな」
「ああ、うん」
「アレはまだ子供だ、泣かせるような事はしてくれるな」
「めずらしーな。バージルがそういう事言うなんて」
スラム街の食物連鎖の頂点に立っていそうな鬼みたいな半分悪魔の冷血人間にしては珍しい発言を聞き、は素直に自分の思った事を口にする。ネロの事気に入っているんだな、と繋げれば、気に入らない奴を従業員にはしないと返された。
きっと、本人には一言もそんな事を言ってはいないのだろうなと、少しだけ恋人を可哀想に思いながらも思わず笑ってしまう。
言ってやらないと判らないくらいにまだ子供なのにと言うべきか迷い、バージル経由でネロの耳に入ったら後日とんでもない事が起きそうなのでこれも黙っておく事にした。彼の付き合っている白い妖精さんは、感情のままに暴力を振りたいお年頃なのだ。少なくとも、告白する時にマウントポジションを取って拳を振り上げるくらいには。
「ネロを泣かせたら切り刻む、覚悟しておけ」
「……バージル。お前、父親みたいな事言うんだな」
「ふん」
ソファに更に深く腰掛けながらも反論はない。口で言うよりも相当ネロの事を気に入っているらしく、先程は飲み込んでしまった言葉を今度は吐き出した。
ネロはああ見えてまだ子供の部分が多いんだ、ちゃんと言ってやった方が喜ぶぞ。なんだこれは、バージルの事言えないじゃないか、俺は彼の恋人ではなく保護者か。そんな脳内に発生したつっこみは綺麗に消去する。
「言っても反抗されるだけだ」
「いや、ネロなら照れるって。確実に」
その照れ隠しが暴力というのが多少問題なのだが、何だかアレだ。今の状況は思春期の息子を持った仲の良い夫婦のお悩み相談的な気分だった。息子の事を憂う親になんてこのスラム街では会った事はないが、今のバージルと自分は確実にそれだとは一人頷く。
しかし考えてもみれば、ダンテとバージル、そしての三人とネロは親子の年齢差があるのだから、庇護欲なり何なり駆り立てられても不思議ではない。話を聞いていくと、あのレディやトリッシュまでネロには目をかけているらしいが、仕方ないといえば仕方ない。気持ちは十分に判る。
「ネロ、可愛いもんな」
十代の俺たちってあんな可愛げなかったよなあ、と呟くと、バージルがしみじみ頷いた。それがどちらに対しての同意かはさて置き、思い返してみても十代の頃のこの三人にネロのような可愛らしさは欠片も無かった。
スラム育ちのこの世に希望なんて持っていないガキと、力を求めて大騒動を巻き起こした馬鹿と、テンション高い乳バンドのアホ。脳内で単語を並べただけだというのに虚しくなった、特に一番最後が。
少年と青年の境が曖昧な青臭さというか、そういうものがネロの内側からは全力で噴出しているのに対し、中年三人組の少年時代はそういった事があまりなかった。その程度には世間に揉まれていた、と思いたいところではあるが、兎にも角にも馬鹿だったりアホだったりクソガキだったりはしたが可愛げなんてものは持ち合わせては居なかったのである。
それを良しとするか悪しとするかはこの際置いておく。しかし、そういった人生を送ってきた者達にしてみれば、ネロの存在は言い表しようのないくすぐったいような感情を揺さぶられるものだった。
「偶に思う。ネロはこんな所に居るべきではないと。ネロには故郷がある、其処に帰らせた方がいいのではないかと」
「本当、そーゆー考えって干渉するタイプの父親っぽいな」
「馬鹿を言え。ネロは家族のようなものだ、このくらい考えて当然だ」
遺伝子を分かち合った血縁者のダンテにはそこまで優しくないというのに平然とのたまったバージルの言葉を聞くと、は苦笑いだけして自分のティーカップに視線を落とす。オレンジ色をした紅茶はネロを初めてもてなした時と同じダージリンで、料理をしない癖に味に煩いバージルの為だけに置いてある結構な値の張る茶葉から抽出したものだった。
態々ホワイトカラーの人間達が溢れていそうな店で葉を買い求め、食器も双剣のバックスタンプが有名なブランド物のティーセットを数点用意した。領収書の数字にダンテが目を剥き口を開けるほどの、凡そスラム街には不釣合いなティータイムを満喫できる一式はその甲斐あってバージルには大変好評で、少し前までは仕事の合間にの生存確認も含めてよくこの店に足を運んでいた。
少し前。その事実にはたと気付いた男は、100個幾らで叩き売られているティーバックとそれ程味が変わらないと思っている紅茶を飲みながら首を傾げる。逆算してみると、丁度ネロが事務所に来た頃から、バージルが来なくなったのではないかと思い当たったのだ。そして、丁度その頃から頻繁にこの双子が喧嘩を始めている。
「なあ、バージル。最近ダンテと喧嘩ばっかしてんのって、ネロが原因か?」
唐突にその話題が振られた途端にバージルの眉間に皺が寄って、返事を聞かずともはその答えを知ることが出来た。
だが、一体彼の何で喧嘩をするというのだろうか。バージルはネロを息子のようにおもっているということは、ダンテが彼を嫌っているというのか。それはありえない気がした。どちらかというと、ネロはダンテが好みそうな、非常に弄り易い性格をしている。一度一緒の空間に彼らといた事はあるが仲が悪いと言い切れる様な雰囲気でもなかった。
ネロを玩具扱いするダンテにキレるバージル。一瞬そのような考えが浮かんだが、ネロと出会った時の事を思い返すとどうにもそうではない。記憶が正しければの話だが、あの時この双子は確か食の好みと生活習慣についてモメていたはずだった。
では一体何が、再び首を傾げると、その姿で次の質問が判ったらしいバージルが苦虫を噛み潰したような表情でを睨みつける。一応それくらいの威圧は軽くかわせる肝を持った男は視線で続きの言葉を催促した。
「ネロが、不安がるだろうと思って……」
「話が見えねーんだけど?」
バージルの歯切れの悪い話をまとめて要約すると、ダンテの雑な仕事の所為で職を失い、新しい土地と見ず知らずの人間の中に、若干押し掛けという形ではあるが、態々やってきた青年を気遣って喧嘩していた、ということらしい。ダンテが自らまともなアフターケアを名乗り出るような輩には一度も見えたことがないのでそれはそれで納得したが、どの辺りが気遣っているのか全く理解出来ない。
一応、バージルの言い分では、ああする事でネロの緊張を取っているという。確かに緊張は取れているが、その分疲労が二乗になっていると伝えると、バージルが目の鱗が落ちたような顔をした。
今まで気付かなかったらしい。彼は昔からこういった所が馬鹿なのである。
しかし悪魔も屠る男に対する軽口で死にたくないので、言いかけた言葉を飲み込んで、代わりにネロが困っているから芝居で喧嘩はしなくていいのではという、非常に平和的な案を出して早急に可決させてやる。発案者はダンテらしいので、後でバージルに切り刻まれる事だろう。見た目の通り手先は器用な彼のことだから、今後は事務所に被害を及ぼさず標的だけをきっちりと細切れにするに違いない。
「あー。じゃあ、もしかして悪魔狩りの仕事に連れて行かせないのも?」
「当然だ、ネロが怪我をしたらどうする」
「職探しに来たのに?」
「デビルハンターだけが世界唯一の職ではない」
あ、こいつ駄目だ。
は今更ながらに、バージルは干渉タイプの父親だなと実感する。
首輪を着けられる仲になっても相変わらず交換日記を強要され続けている中年は、書く事が無くなったのか、それともそれが目的なのかは判らないが、紙面に綴られるネロの愚痴を一々読んでは返事を書く某色ペン先生のような作業を繰り返していた。
合言葉のない仕事は受けなくていいと言われたとか、合言葉の仕事が入ったと思ったら置いて行かれたとか、大体そんなような不満が週一ペースで書かれている。しかし、これは何もネロが雇い主に遠慮してその頻度で書いている訳ではなく、週に一度くらいしかダンテが働かない事をは知っていた。
それに比べると、バージルは比較的悪魔関係の仕事以外も色々と請け負うのだが、矢張り彼を連れて行ってはいないらしい。ネロは故郷では腕利きだったんだろうと尋ねるが、だがまだ子供だと返される。お前等がアレくらいの頃には悪魔殺しまくってたんだろうと突っ込んでも、ネロは人間だと言われた。汚れ仕事もやってたんだろうと言っても、だからこそ二度とさせてはいけないと、最後のそれは納得できたがどうにも埒が明きそうにない。
「おい、バージル。ネロの事、足手纏いだとは思ってないんだな」
「そうだな。力不足というのは否めないが、許容できる範囲だろう」
「じゃあ」
「何度も言わせるな、ネロはまだ子供だ」
「……わーったよ」
双子のネロに対する評価が正当なのか色眼鏡越しの甘口なのかはこの際どうでもいい。はティーカップをソーサーに戻しその場から席を外した。紙袋に包まれた真新しい伝票や契約書類が放置してある暗室に寄って鍵付きの棚から一枚のカードを取り出す、その足で倉庫として使っている角部屋へと赴いた。交換日記を受け取る例の場所である。
バージルの話ではネロは不貞寝をしているらしいので、向かいの建物の窓に落ちていた小さな木屑を投げて音を立ててやると、すぐにカーテンから不機嫌そうな恋人の顔を見ることが出来た。据わった目が用がないなら失せろと告げているような気がしたが、それは気のせいという事にしておいてこちらに来るようにと手招きする。何だよ俺だって暇じゃないんだ下らない事だったらぶっ飛ばすからな、とブツブツ文句を垂れながらも律儀に窓から窓へと移動してきたネロの頬にシーツの痕があることは敢えて指摘しないでおいた。
「で、何だよ」
「おっさんが青少年が自立する手助けをしてやろうかと思って」
「はあ?」
寝起きという事もあり大変機嫌が宜しくない返事をされるが、その辺りは適当に無視しては先程持ってきた紙切れを手渡す。
手の平に乗るサイズの、何処からどう見えてもただの名刺にしか見えないその紙切れと男を交互に眺め、やがて盛大に顔を顰めた。一体これは何なんだ、自分をからかっているつもりなのか、そんな事を言いたげな表情だった。
ああ、こういった考えがすぐ表情に出るのがまた可愛らしい、と中年の馬鹿な脳味噌のアクセルを全開にしながらも、上辺だけはいつも通りの、恋人からスラム街に適さないと告げられた笑みを浮かべる。そうすると今まで問答無用に不機嫌だった雰囲気が幾分か和らいでいき、素直な子っていいよな、と思わず頷いてしまいそうになった。
「悪魔絡みの仕事。28番通りにこの事務所があるから、名刺と俺の名前出してボスに会って来い。多分歓迎してくれるぜ」
「……何で」
が悪魔関係の情報屋紛いなんてやっていて、ダンテやバージルが居るのにそれを自分に回すのか。困惑した表情で尋ねてくるネロに、男は一見何の変哲もないその名刺を指して肩を竦めた。
「うちのお得意さんなんだけどさ。ここのボス、昔ダンテとレディの2人と色々やらかしたらしくて」
「……ああ」
合点がいったらしいネロは獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべて上がり始めたテンションのまま剣と銃を持って飛び出そうとするが、その前にオッサンの小言を聞いていけとにっこり笑って若い行動を制した。多分ダンテもバージルもネロのこういった全力な行動を見ていてひやひやしているんだろうな、なんて考えながら大人しく止まってくれる恋人に感謝する。
矢張りネロは性に関しての知識は多少アレなのだが、本当は青臭くて真っすぐで可愛くて負けず嫌いでちょっと厭世気味だけど面白くてとってもいい子なのだと拡声器を使ってご近所さんに宣伝したくなった。
「出てくなら裏口にしておけ、今、俺の事務所にバージルが来てる。時間稼ぎはしてやるから焦らなくていい、音立てずにゆっくりな。でも、帰ってくるときは正面から堂々と、夜遅くになるようだったら俺の所に来ちまえ。これがまず一つ目な」
「わかった。二つ目は?」
せっかちさんだけどそこがまた愛らしいなあと、娘にでれでれの駄目親父の如く惚気まくりながら紅茶の香りのする人差し指をネロの薄い唇にそっと添えて微笑んでみた。たったそれだけで噴火を起こしたように一気に赤くなる恋人はどれだけ初心なんだと自問自答しながら、声も出せないほど照れているのをいい事に空いていた手でサングラスを外す。
一見ルシフェルを装備したダンテのような腹を抱えて笑ってしまうような仕種だったが、ネロは自分の素顔で迫られるほうが好みらしいというの的確な判断からだった。顔を真っ赤にして金魚みたいに口を開閉している恋人は想像以上にアホ可愛く、いじり甲斐のある存在であった。
「だ、だから……二つ目は、っ」
「静かにな。バージルに聞こえたら元も子もねーし」
しー、と言ってやるとそれがお気に召さなかったのか照れていた顔がむっとしたものに変わっていく。そうやって感情に揺さぶられるままコロコロと感情を返るからダンテに坊やと言われるんだ、とは指摘できない。したらの首が物理的に飛ぶからだ。
「……二つ目」
「ああ、悪かった。二つ目はな……愛してるよ、ネロ」
囁いた瞬間、ネロの全身が、それこそ左手の指先まで真っ赤に染まってゆっくりと膝を崩して座り込んでしまう。まさかこんな事で腰が抜けたのかと驚きたい表情を忍耐で隠しながら観察すると、どうもそれが正解だったらしい。触れた体は物凄い速さで脈打っている。まるで100mダッシュを何本も繰り返した後のようだった。
予想外の、あまりにもあまりな免疫の無さには今すぐこの場でネロを抱き締めて髪の毛がぐちゃぐちゃに乱れるまで頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、元来持ち合わせているポーカーフェイス、と呼ぶよりはやる気のない顔でその場に屈むと、銀色の頭を二三度撫でてやる。
ここで抱き締めたりとか、そういう子ども扱いをしてはならないのだ。
「ネロ。待ってるから、頑張っておいでな」
「うん」
「怪我すんなよ」
「……努力する」
「よし。じゃあ、行って来い」
肩を叩くと真っ赤な顔で頷いたネロは勢いよく立ち上がると鼻を擦って自分の部屋へと飛翔して、振り返りもせずにの視界から消えてしまった。そういえば、頬にシーツの跡が付いているのを指摘していない事を思い出す。
「まあ、いいか」
ドライなのか面倒くさいだけなのか、後悔という文字をその辺りに捨て置いて立ち上がったは倉庫の棚から真新しいティーセットを取り出してバージルの元へ戻って来る。何をしていたかも不明だし、やたら時間がかかったことに不審を抱いているバージルは直に何があったか問いただそうとしたが、そんな事は当然読んでいたので先手を打った。
「バージル、欲しがってた『サムライ』シリーズ。やっと手に入れたぜ」
「何だと?!」
「グリーンティーの茶葉もあるんだけどさ、どーしような」
決して安くはないの用意した餌にバージルの理性が完全に吹っ飛ぶ。いつもの落ち着いた雰囲気を殴り捨てる姿を確認して、今すぐ淹れろと無茶な注文を飛ばすのを適当に受けては流し、まずは此方のブランド食器を片付けないといけない何て屁理屈を捏ねつつ時間を稼ぐ。こういった所は双子だよなと妙に感心するが、欲しがっていたティーセットを手に入れた、正しくは親友が手に入れたバージルにはそんな呟きも聞こえないようだった。
こういった単純な手はダンテには通用しないが、バージルは毎回何らかの時間稼ぎの際に以前から欲しがっていた物をチラつかせればあえなく陥落する馬鹿なのである。今が片付けている食器も、まだ若かったときのダンテにどうしてもバージルを引き止めて欲しいと頼まれて引っ張り出したとっておきの一つだった。
あの時は3日程、この事務所から動かなかった。客に変な目で見られたものだ、代わりに十分過ぎる用心棒がいた事で金を浮かせるためにやってくる性質の悪いクレーマーを黙殺できたのはありがたかったのだが。
さて、今回は何日だろうとはひっそりと笑みを零した。