曖昧トルマリン

graytourmaline

三つのケーキを二人で分けて

 昔から治安がよろしくないスラム街の一角。
 そこに自宅を兼ねた店舗を持っているは、毎度のこと隣の事務所『Devil May Cry』から聞こえてくる怒号と銃声を完全に無視してサングラスをかけ直し、芯の柔らかい鉛筆を白い紙の上に走らせていた。
 数分後、店舗である一階の窓ガラスを割って鉛玉が数発ご来店した事に気付くと、鉄製の1メートル定規を持って席を立ち、白い髪を揺らしながら階下の店舗へ向かう。
 外では相変わらず喧嘩なのか何なのかよく判らない銃撃戦らしきものが繰り広げられていて、風通しが良くなり過ぎた窓からは犯人であろう親友たちの怒鳴り声が筒抜けてきた。
「バージルもダンテもそろそろいい歳なのに、あんな怒って、疲れねーのかな。なんか最近喧嘩多いし……」
 自身と同い年くらいの、いい歳した大人の、恐らく非常につまらない理由が発端の兄弟喧嘩は更に激しくなったようで、先程から何発もやってきていた鉛玉とほぼ同じ軌道を辿り、今度は見覚えのあるドラムセットが猛スピードで窓枠を破壊し、侵入してくる。
 ひしゃけた形で店の床に突き刺さるようにして鎮座したそれにどうしようかと考えていると、聞き慣れない声を耳にして、既に窓の形どころか痕跡すら成していない窓と、その先にまた窓があった方向に目をやった。
「いい加減にしろよおっさん共!」
「坊や、こんないい男に向かっておっさんはないだろう」
「俺はまだそれほど老けてはいない」
「俺から見れば二人とも十分おっさんだ!」
 ギャンギャンと威勢よく吠えている声は若さに溢れていて、少しばかり刺々しい。
 背中を向けている所為で顔は見えないが、恐らくはティーンエージャー。それも、青年との区分が曖昧なハイティーンの少年だろう。
 彼の背中には奇妙な形をした美しい剣、手にはゴツくて繊細そうな銃がおさまっている。
 後姿だけ一見するとバージルかダンテかどちらかの子供に見えなくもないが、双子のどちらかの隠し子なのだろうかと心底どうでもいい考えが浮かんだ。
「歳相応の行動をしろ! 食生活の違いだけで事務所を半壊させるな!」
 ああ、まったくもって正論だ。とは心の中でだけ呟く。
 その言葉は彼が数十年前、まだ十代の、丁度目の前の少年と同じくらいの年齢だった頃に同年代だった双子に言った言葉だった。
 口頭注意は基本的にこの二人には無駄な事だと理解していたので、こんな荒っぽくは言わなかったし、面倒なので一度言ったっきりの言葉ではあったが。
「いいか、ネロ。男には時として譲ってはいけない事がある、覚えておいたほうがいい」
「そこは譲れよバージル。俺の食事が毎食ピザなのは今に始まった事じゃないだろう」
「いい機会だ。今日という今日はお前の乱れた生活習慣を叩き直してやろう」
「食事は専ら外食で洗濯もロクに出来ないお兄ちゃんには言われたくない台詞だな」
「お前は食事と洗濯どころか掃除も出来ないだろう」
「……おっさん共、ここに来てから毎回半壊した事務所を掃除してんの俺なんだけど」
 最後の青年の呟きは双子の耳には入らずの耳にだけ入ったようで、後に続くのは銃声と剣が弾を弾く音だけだった。
 一人残された青年の肩が、恐らく怒りのために震えている。無理もない。
 はしばらく三人の様子を黙って見た後で、この状況がこれ以上変化しないことを確認すると、持っていた定規の端を持って青年の肩を叩く。
「!?」
「あーなったら仲裁なんぞするよか、気が済むまでやらせた方が早いぜ」
 収まるまでこっちに居ろよ。と窓と表現できない穴から話しかけてみれば、青年は数秒考えた後、渋々という様子で大きな穴の開いた、窓の原形が崩壊した窓からの店へとやって来た。
 穴と穴の直線状に位置した部分に散乱した窓ガラスと、先程突っ込んできたドラムセットの成れの果てが鎮座している姿を見つけると青年が思わず呻く。
「毎度の事さ。10年以上もあのトラブルメーカーズとお隣さんしてるし、今更気にするような事でもねーよ」
 床に突き刺さった変形ドラムを店舗のど真ん中に堂々と放置したはDevil May Cryがある反対側の壁際に置いてある背の低いテーブルを挟んだソファに青年を座らせた。
「アンタ、誰だ?」
。この店の店長で作業員で事務員でその他色々。でいいぜ」
 いつだったかダンテが手に入れた大型重火器の発砲音をBGMに自己紹介をすると、青年は自分で訊いたにも関わらず興味なさそうに視線を逸らして薄い反応を見せた。
「……ネロ」
「ネロ?」
「俺の名前」
「ネロ、うん。ネロか、いい名前だな」
「別に普通だろ。それより、何者だよ……気配が無かった」
「何って。普通に、何処にでもいる半魔」
「いや、それ普通じゃねえよ!」
「そーか?」
 半魔が何処にでも転がっててたまるか! と全力且つ全速力で返ってきたネロのツッコミに、ビニールシートとダクトテープを持ったままニッと白い歯を見せる。
 が自分の土地の方の、元は窓だった穴をそれで塞ごうとしているのを理解したネロは黙ってソファから腰を浮かせるが、未だ銃声が聞こえる壁側に寄った店主が座っているように手をひらひらとさせた。
 慣れた手つきであっという間に壁の穴を一時的に塞ぐと、ついでとばかりに入り口まで足を伸ばしてぶら下げていたOPENの札を反転させて電話の受話器を取る。
「……初めて知った。こっちの建物に人が住んでた事」
「基本引き篭もりだからなあ、看板出しても表には出ねーんだよ。仕事とバージルとダンテ以外に興味ないし。あ、双子は変な意味じゃなくて、ダチって意味でな」
 今度はネロにツッコまれる前に言って、事務机に腰をかけながらダイヤルを回す。
「こっちに来て半月以上経ったのに、全然気付かなかった」
「つーか、俺もネロの事全然知らんかったぜ。隣同士なのにな……よお、俺だ。また何時もの、ああ、今んとこ窓と床だけだ。はいはい、じゃな。よろしく」
 修理の依頼の仕方がやたらと慣れている。相手先に名乗ってすら居ない。
 また何時もの、で通じる辺り、今後自分があの事務所でどう立ち回ろうか考え込んでしまうネロだったが、その思考もいよいよエスカレートしてきた戦闘音に脳が考えることに対して拒絶反応を起こし始めた。
「取り合えず隣のいい歳した馬鹿と更に馬鹿の兄弟喧嘩が終るまでこっち居ておけよ。こんな惨状じゃ、うちも客呼べねーし」
「そう言えばここ、何の店なんだ?」
「何だと思う?」
 言われて室内を見渡してみれば、スラム街に構える店には珍しく清潔にされていて、照明も明るめに調節されている。少しばかり消毒液の匂いのする空間は、自分が住み込みで働いている隣の事務所と雲泥の差だとネロは感じた。
 箒を持ち出して硝子の破片を片付けているに、ネロはそうとは思えないけれど、と心の中で前置きをして尋ねてみた。
「アンタ、闇医者か何かか?」
「まさか。ただの彫師だ、客の要望に合わせてタトゥー入れてる」
「ああ、だからか」
「体の表面イジるんだ、不潔な店よかマシだろ?」
「確かに」
「所でネロは甘いもん好きか。コーヒーと紅茶、どっち飲みたい?」
「え……別にそこまでは」
「午前中、客にストロベリーショートケーキ貰ったんだよ。俺と隣二人の三つ分、あのバカ二人は下っらねー事で取り込み中だから俺たちだけで食っちまおうぜ」
 唐突に話題を変えながら悪戯めいた笑みを浮かべて提案すると、ネロは目を丸くして固まった後、明後日の方向を向いてしまう。
 その様子を見ては何か勘付いたのか、ネロの隣にしゃがみ込んだ。
「ネロ。甘いもん、好きか?」
「……嫌いじゃない」
「何飲みたい?」
「……ミルクティー」
「OK, 紅茶ならバージル用の上等な奴を置いてある。そいつ使っちまおう」
 結局視線が絡むことはなかったが、店主はそう言って銀髪頭をぽんと叩き、キッチンがある方向へと消えて行く。
 一人ソファに残されはネロはというと、店の奥に消えたの背中を睨むようにしながら溜息を吐いた。
 隣では建物の一部が崩壊するような音が聞こえる。そんな事平気でやらかせる程あの事務所に蓄えはないはずなのに、心の中で毒づいていると、先程消えた顔がドアの向こうから覗き出た。
「どーしよ、ネロ。ミルクねーわ」
「俺に言われても……」
「ストレートでいいか?」
「別に何でも」
「悪い、ミルクティー飲みたいって言ったのになあ」
 謝罪するような事でもないのに、はもう一度謝ってからまた姿を消す。
 しばらくすると大きなトレイ片手に店主が現れて、ネロの目の前とその向かいの席に木製のランチョンマットを敷き始めた。
 次いでペイントの剥がれた陶製のマグカップに注がれた紅茶、白い皿に乗せられたビスケットを土台にした赤い小さなケーキ、先端に飾りの付いた2叉の銀フォークの順で並べられる。
 一瞬、ここがスラム街の、しかも治安がいいとは言えない地区に位置する店だと忘れてしまいそうになるが、隣からは相変わらず鳴り響いている轟音が、悲しいかな現実世界へと引き戻してくれた。
「なあ、俺の皿にケーキ二つ乗ってんだけど」
「もーいっこ要るか、やるぞ?」
「要らねえよ、大体それアンタのだろ」
「いーじゃねーか。若い内はこーゆーの沢山食っとけよ」
「隣で喧嘩してる赤い方のおっさんはしょっちゅう食ってるけど」
 暗に要らないと言っているに、ネロは厭味ったらしく返す。
 銀色のフォークで赤いケーキを崩しながら、店主はまだ無事な窓ガラスに映った己の容姿を確認して、あからさまに肩を竦めた。
「ダンテの胃袋って強靭だよなあ」
「だよなー。毎日ピザって訳わかんねえ、何でアレであの体型維持出来るんだよ」
「バージルは外に食いに行ってばっかだろ?」
「本当そうだよ! あの二人、自炊くらいしろっての!」
「ネロ自炊出来んのか。偉いじゃん」
「え、偉くなんてない! 普通だ!」
 声を荒げて言われるが、怒った様子は特にない。
 褒められることに慣れていないのか、そう勝手に結論付けると、真っ赤なイチゴを刺していたフォークを持ったまま固まったままの青年に別に話を振り出した。
「ところでさ」
「何だよ」
「ケーキ美味いか?」
 崩壊したケーキの乗った皿の上で、銀色のフォークを銜えたまま人懐っこい笑みを浮かべたに、ネロは青い瞳を食べかけの一つ目のケーキに向けた。
「不味かったら食わない」
「そりゃよかった」
「……でもストレートよりもミルクティーが飲みたかった」
「おし、今度はちゃんと用意しとくわ」
 少しばかり屈折した青年の物言いに、サングラス越しの目が緩やかに細められる。
 ネロに向けられた男のその瞳は、思いの外優しかった。